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第1164話 三毛 ◆wPntKTsQ 投稿日: 02/08/05 01:53 ID:148aIpVb
     「帰還」

                     ………また、あの日がやってきます。

 蝉が、楽しげに合唱しています。ゆらゆらと揺らめく陽炎。真っ白な積乱雲。咲き誇るひまわり。真夏の昼
下がり、静かな時間が流れていました。

「いらっしゃい、ラスカちゃん。暑かったでしょう?ゆっくりしていってね」
 ニホンちゃんは、訪ねてきたラスカちゃんに、冷たい麦茶を供しながら微笑しました。普段ラスカちゃんの住
んでいる離れは、涼しい場所に作られているので、彼女は暑さに慣れていません。可愛らしい顔を赤く染め
て、ハンカチでしきりに汗を拭っています。
「それで、今日はなんのご用?武士は、今出かけているけど……」
 用向きを尋ねたニホンちゃんに、ラスカちゃんはふるふると首を振りました。
「ううん、ウヨ君じゃなくて………ニホンおねぇちゃんのパパに、持ってきたものがあるの」
「え、お父さんに?」
 ニホンちゃんはビックリしました。ラスカちゃんが、ジミンさんに何の用なのでしょう?
「分かったわ。お父さん呼んでくるから、ちょっと待っててね」
「うん。………おねがいします」
 懸命によそ行きの言葉を使うラスカちゃん。ニホンちゃんは微笑ましいものを感じました。そういえば、わた
しも、お使いの時はああいうふうに緊張して喋ってたなぁ………。

     つづき

 程なくして、ニホンちゃんに先導されて、ジミンさんがやってきました。
「いらっしゃい、ラスカちゃん。私に届け物だって?何かな?」
「こんにちは、おじさん。……ええっと、さっそくですけど、これを見てください」
 そう言ってラスカちゃんが差し出したのは、丁寧に折り畳まれた布でした。受け取ったジミンさんが、無造
作にそれを広げます。
「うっ………………!?」
 ちいさな呻き声とともに、ジミンさんの手が止まりました。

 それは、日ノ本家の象徴………「日の丸」でした。あちこちに、墨痕鮮やかに寄せ書きが書かれています。
「カッテクレ」と書かれた旗に、視線を貼り付けながら、ジミンさんは囁くように尋ねました。
「どうして、これを…………?」

 昔、ニホンちゃんたちが生まれる前のこと。日ノ本家とアメリー家は、未曾有の大喧嘩をしました。世に言
う、「太平湖喧嘩」です。太平湖で、そこに浮かぶ小島で、両家は血みどろの大喧嘩を繰り広げました。
現在、ラスカちゃんが住んでいる離れの目と鼻の先に浮かぶ小島も、その喧嘩の舞台となりました。
 ………無論、闘いはアメリー家の勝利。日ノ本家の男たちは、叩きのめされ、島から追い出されてしまっ
たのでした。そのときに島に起き捨てられていたのが、件の旗でした。離れの物置にしまい込まれ、長らく
忘れ去られていたのですが、偶然見つけたラスカちゃんが、元の持ち主に返してあげようと思い立ち、こうし
て持参してきたのでした。

     つづき

 たどたどしく、それでも一生懸命説明するラスカちゃんを、ジミンさんはじっと見つめていました。
「なるほど………確かにこれは、うちの親戚の人のものだよ。多分、リクグンさんの部下だった人だと思う。
分かりました。必ず調べて、元の持ち主に返すからね」
「ありがとう……おねがいします」
 ぴょこん、とお辞儀をするラスカちゃん。その可愛らしい仕草に、微笑を誘われたジミンさんでしたが、すぐ
に表情を曇らせます。
「あれから、何年も経っているのに……いまだに、こういうものが、人目に触れずに残っているんだね。……
あの喧嘩は、まだ歴史になりきってはいないんだ。それなのに、未だに、あちこちで喧嘩をしている。
……………私たちは、喧嘩を忘れることができるんだろうか?そんな日が、本当に来るのだろうか?」
 ジミンさんのその呟きは、悲しみと苦悩に満ちたものでした。幼いラスカちゃんには、その言葉の意味をよ
く理解できませんでしたが、深い悲しみを感じ取っていました。
「ああ、すまなかったね。さて、ラスカちゃん。確かに、約束したよ。それじゃ、後は私に任せて、君はゆっくり
遊んでいきなさい。武士ももうすぐ帰ってくると思うよ」


     つづき

 数日後。ラスカちゃんのもとに、一通の手紙が届きました。それは、ニホンちゃんの親戚の人からでした。
彼女が見つけた旗の持ち主の家族だそうです。ジミンさんは、約束を守ったのでした。
 ひどく達筆で、ラスカちゃんは読むのに四苦八苦しましたが、がんばって読み進めました。

 その手紙には、持ち主は喧嘩の時に受けた傷が元で亡くなったこと。若くして亡くなったために、遺品がほ
とんど残っていなかったこと。思いがけず、旗が戻ってきたために、まるで故人と再会したかのような喜びと
悲しみに浸っていること。しかし、故人の面影を偲ぶことで、大きな慰めになっており、それをもたらしてくれ
たことに深く感謝していることなどが、淡々としたためられていました。

 ラスカちゃんは、手紙を読み終えると、彼女には似合わないため息をつきました。
 ジミンさんの独白の意味を、なんとなく理解したからです。

 この手紙を出した人にとって、あの喧嘩は、まだ過去のものにはなっていないのです。もしあの喧嘩がな
ければ、いまも隣にいたかも知れない人、その人を喪った悲しみは、時の癒しの手をもってしても、容易には
消え去ることがないのです。それが、手紙の端々から、痛いほど伝わってきました。

(………人は、どうしてケンカをするんだろう?ケンカをして、かなしみをふやして、どうしてそれでもケンカを
やめないんだろう?)
 ラスカちゃんは、沈痛な光の宿る瞳を、空に向けました。しかし、蒼穹は、彼女の疑問に答えることなく、た
だただ蒼く輝いているだけでした。

                     もうすぐ、あの日がやってきます。
                     あの、暑く長かった一日が……。

                                              おしまい

解説 三毛 ◆wPntKTsQ 投稿日: 02/08/05 01:56 ID:148aIpVb
三毛であります。
今回のネタは、アッツ島にて玉砕した日本兵の持っていた日章旗が、遺族に返還されたという記事です。
http://www.nikkansports.com/news/flash/f-so-tp0-020804-11.html

終戦から57年……未だに、あの戦いは完全には終わってはいないような気がします。補償云々はともかく
として。
来る15日は、私も護国神社に参拝して、先人の御霊に頭を垂れてこようと思います。
彼らの死を礎にして、今の日本があるのですから………。

では!

                    アンドレ・ギャニオン「海の見える丘」を聞きながら  三毛 拝

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