むかしむかし。 まだ、ゲルマン家が壁でまっぷたつにわかれていた頃のことです。 東独家の窓際からうつくしくさびしげな歌声が聞こえていました。 「Auferstanden aus Ruinen Und der Zukunft zugewandt....」 少女は窓の縁に肘掛ながら、物憂げに両家を隔てている壁を見つめています。 「Las uns dir zum Guten dienen, Deutschland, einig Vaterland....」 その時、ばんっ! と部屋の扉を蹴破って無遠慮に入ってきたのは酒瓶を手にしたロシアノビッチくんでした。 「おいっ、アーリアあ! おれはなあ、その歌が大嫌いなんだ」 ロシアノビッチくんはぐいっと酒を煽ると、袖で口元を拭い、赤ら顔で続けました。 「まったくもって耳障り、聞いてるだけで脳ミソが腐る……そんな歌は禁止だ禁止い!」 「そんな……お店の復興を願った歌なのよ……それくらい」 「うるせえ! てめえおれにたてつく気か!? てめえの店が続いてるのは誰のおかげだと思ってんだよ、言ってみろおいこら!」 突然のことに戸惑っているアーリアちゃんに、ロシアノビッチくんは怒鳴って酒瓶を投げつけました。 「きゃ……!」 酒瓶はアーリアちゃんをかすめて壁にぶつかり、ガラスが割れるけたたましい音が部屋中に響き渡りました。 「いいか、今度その歌聞いたら、てめえぶっ殺すかんな! じゃあなっ」 アーリアちゃんはうずくまって震えながら唇を噛み締め、涙がにじんだ目で千鳥足で去っていくロシアノビッチくんの後ろ姿を見つめていました。 それからというもの、東独家では社歌でもあったお気に入りのその歌を歌うことができなくなりました。 町内の運動会でもメロディーが流れるだけで、本当は歌いたいはずなのに、誰もその歌を口ずさむ者はいませんでした。 それからしばらく経って両家を隔てていた壁は崩れ、ふたつはひとつになりました。 時を同じくしてロシアノビッチ家も没落し、あれほど荒れていたロシアノビッチくんも最近は酒を控えるようになり、落ち着いてきました。 「Auferstanden aus Ruinen Und der Zukunft zugewandt Las uns dir zum Guten dienen, Deutschland, einig Vaterland.....」 公園のベンチでアーリアちゃんが歌を口ずさんでいると、ふと、いつの間にか隣に誰かが座っていることに気付きました。 はっとして振り返ると、それはロシアノビッチくんでした。顔も赤くなく、酒臭くもありません。 「……なんだよ、おれに構わず続けろよ」 「――怒らないの?」 「どうしてだよ、いい歌じゃねえか」 ぽりぽりとひとさしゆびで頬を掻きながら、ロシアノビッチくんはすこし恥ずかしそうに言いました。 アーリアちゃんは微笑むと、再び歌い始めました。 「Alte Not gilt es zu zwingen, Und wir zwingen sie vereint, Denn es mus uns doch gelingen, Das die Sonne schon wie nie Uber Deutschland scheint Uber Deutschland scheint......」 あたたかな午後の陽射しが、祝福するようにアーリアちゃんを照らしていました。 (わたしにはわかる) アーリアちゃんは教室の隅を一瞥しました。 視線の先では、カンコくんとアサヒちゃんがニホンちゃんを取り囲んで威圧するように睨み付けています。 「おまえの家の歌は帝国主義的ニダ! 歌うことを禁止するニダ!」 「そうよ、その歌のせいで、多くの人がキズついているのよ! そんないけない歌はさっさと禁止すべきだわ」 「謝罪と賠(ry)」 「そっ……そんなあ……」 涙ぐむニホンちゃんに、アーリアちゃんはぐっと手を握り締めました。 (歌いたくても歌えないことのつらさが……だから――) 目の前のことを、放っておけない。 アーリアちゃんは静かにそちらへ歩み寄ると、カンコくんの肩をがしっと掴みました。 「ニダ?」 「あなたたち――覚悟なさい」