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第1話 あさぎり ◆WOaKOSQONw 投稿日:  2005/06/01(水) 22:37:45 [ y8Y1Jv0E ]

−Zooropa File-2-

  *
 
 「ねえ…何かを守ろうとして何もかも失うのって、それだけで悲劇だと思わない?」
 「気にすることは無い。世の中には悲劇しか無いから」
 おぼろげな意識の中で、昔交わした会話が思い出された。ベッドの上での話は話半分にしたほうがいいと、
一昨日バーのカウンターで他の客が言っていた。嫌な話題をすれば、現実は倍返しになるという訳だ。
 頭の上にゲルマッハがまだ上に乗っている。振りほどくように少し頭を持ち上げると、また床に押し付け
られた。男と抱き合うほど、楽しい気分になれるときはない。
 リノリウムがコンクリートに変わったのに気付いたのは、壁に寄りかかりながら何とか上半身を起こした
後だった。ゲルマッハはまだしつこく押し倒そうとしていた。
 何とか立ち上がり、暗闇の中で目を凝らした。頭がはっきりしないので何も見えなかった。
 いつの間に右手には愛用のオートマチックが握られている。使った記憶は無い。
 感覚が戻ってくるにつれ、周囲の状況が段々わかってきた。絡みつくような潮の匂いと汽笛の音、そして
だだっ広い屋内。どうやら倉庫のようだ。
 数歩歩いて潮の匂いに何か別な匂いが混ざっているのに気付いた。ジッポーの火をつけると数メートル先
程度までは何とか確認できる。その光の中に足のようなものが見えた。予想はしていたが状況は確認せねば
ならない。
 そこにいたのは今日一日探し回ったシリアだ。但し眉間を撃ち抜かれているので聞きたい事も聞けそうに
なかった。弾痕は4ヶ所、腹に3発浴びせられて動けなくなったところで眉間を撃たれた様だ。ポケットを
探ると、札入れには空っぽだった。窃盗の偽装か単にシリアが貧乏だったかのどちらかだろう。
 他は特に持ち物を改めたような形跡はなかった。
 「お前も運が無いな。のこのこ呼び出されて出てくるからこうなる」
 こいつの人生は何が楽しかったのだろう。返事が無いので仕方無しにもう一度全身を調べる。肩の擦り
切れたジャケット、膝に脂の浮いたスラックス、アイロンのかかっていないシャツ。しかしくたびれた
格好に不釣合いな靴を履いている。ぴかぴかに磨かれた靴だけ全てがくたびれているここでは浮いていた。
 靴底を指で叩いてみると、右の踵だけ軽い音がした。靴を脱がせて靴底をめくると蓋が出てきた。
バタフライナイフを取り出しこじ開けると小さく畳んだメモとメモリーカードが入っていた。メモは記号の
ようになっていて、ここでゆっくり解読する暇は無さそうだった。
 丁寧に靴底を元に戻し、持ち主に元通り返した。これで突然起き上がっても普通に歩けるだろう。人間
は生前どんな悪人だったとしても、死人には優しくなれるものだ。
 オイルが切れないうちに素早く周囲を確認した。自分の倒れていた辺りに薬莢が転がっている。4つ
あるのを確認してポケットに入れた。弾倉を抜いて念のためなくなった弾数を確認する。間違いは無さ
そうだ。倒れていた時間は解らないが、ゲルマッハあたりが余計な工作をする時間は無い筈だ。
 遥か遠くからパトカーのサイレンの音が聞こえてきた。まだ重い頭を意識しつつ裏口のドアを開け、
ノブを落ちていたウェスで拭った。残念ながら歩いて逃げる以外に方法が無さそうだった。証拠の隠滅と
遺留品の強奪。鑑札が何枚あっても足りそうに無い。
 2つ目と3つ目の倉庫の路地を抜けようとしたとき、後ろから銃を突きつけられ、持っていたオートマチック
を手を上げつつ手放した。路地に落下音が反響する。
 「動かないで、こんなことして信じられないだろうけど助けに来たの」
 「信じられないのは確かだな」
 「スポットライト浴びて自己紹介って気分じゃないから勘弁してね」 
 「それをする時は呼んでくれ、楽屋に花くらい届けるよ」
 「スポンサーのお願いが急だったから、こっちも色々準備不足なの。落ち着いて話しする気分になった?」
 「そうなって欲しけりゃ俺が死体になるのを待つんだね」
 「スポンサーはそれがお望みじゃないのよ。もう手を下ろしていいわ」
 突きつけられていた銃は下ろされたようだ。
 「俺の銃を拾っていいか?」
 「お好きにどうぞ。どうせこの先入用だろうし」
 銃を素直に拾って今回はホルスターに収める。ゆっくり振り返ると丁度暗視スコープを外した女が
そこにいた。不思議な光景だった。深夜の港に修道女が、暗視スコープをつけて間抜けな探偵に銃を突き
つけていたのだ。
 「どこの教会から派遣されてきたんだ、シスターアンジェラ」
 「あなた本当に昔から軽口が治らないわね」
 「わからないことをごまかすのに丁度いいんだ、治るわけが無い」
 シスターアンジェラは全く聞こえなさそうに銃を下ろすと、巡礼には不都合そうなボストンバッグを
引き寄せて、ジッパーを開く。金属音しかしないから、ここから逃げるのに便利そうなものが多分
詰まっているのだろう。
 「さすがにこの格好でピックアップ運転してたら目立ったわ。後の荷台にハロウィン用のかぼちゃを
乗せとけばよかったって本当に後悔したのよ」
 「神父を乗せてメガホンで説教させとけばよかったんだよ、シスターアンジェラ」
 「あら、まだ私が誰かわからないのね」
 確かにそうだったので、素直に頷くことにした。修道女に知り合いはいなかったはずだ。
 「死んだことになってるから仕方ないか」
 ヴェールをとったその顔は確かに昔の面影があった。
 「久しぶりだなタイワン」
 「その名前も久しぶりだわ」
 印象は昔とあまり変わっていなかった。髪が伸びて線が細くなったが、俊敏な狼の様な体はどちらか
というと洗練されたという感じだった。
 「今の通り名は丹陽。かっこ悪いでしょ?」
 「そうでもない。なんならシーウルフとかグレイハウンドとでも名乗ればいい」
 珍しく気の利かない冗談を言った。タイワンと話しているのが昔を思い出させるからかもしれない。
彼女はそれには答えず、黙って修道服を脱ぎ捨てて、作業服のツナギ姿になった。
 突堤の反対側に隠してあったジェットスキーに乗り込み、タイワンはリモコンを操作する。途端に
シリアの最後の家は爆発した。浮気調査が生業の探偵には出来ない芸当だ。
 サイレンが更に大きく聞こえてきた.

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