戻る <<戻る | 進む>>
第2200話 無銘仁 ◆uXEheIeILY 投稿日: 2005/03/25(金) 18:09:04 ID:OZYT/WRd
 「枢軸探偵社依頼壱〜下〜」

 朝の穏やかな陽光に、獨島の眼鏡が落ち着いた光を放っている。
「いずれは知れることだ。我々が見つからなかったと報告すれば、
依頼人は他の探偵を使う。悪徳業者に食われるおそれもある」
「じゃあ、知らせるんだね」
「ああ。しかしその前に――」
獨島は私にあることを耳打ちした。私にしかできないことだった。
それにしても、獨島の想像通りだとしたら、これはとんでもないことだ。
「わかった。ボクの腕前を見せてやるよ」
「うむ。ところで君は昨日、日ノ本君と『マカロニウエスタン』で
夕食をとっただろう」
私は舌打ちをした。尾行に気づかないほど浮かれていたとは。
「ふ、探偵のいろはを忘れていたな。相手が僕でよかったと思いたまえ。
そもそも尾行の基礎は自然な服装を……」
獨島の得意な演説を聞かされる前に、私は所長室から退散した。
 時間通りに任務を終えた私が事務所に戻ると、さくら君がひとりで
部屋中に散らばった書類を片付けているところだった。
「もうっ、伊田さん。毎日あれほど言ってるじゃないですか。
使ったらきちんと元の場所に戻してくださいよ」
「ごめんごめん。次から気をつけるよ。ところで、所長は」
「所長でしたら、今しがた急に出て行かれましたけど」
いつもこうだ。重要な最後の詰め――つまり一番面白い部分――は、
毎回必ず自分だけでやろうとする。私はいつも置いてけぼりだ。
もっとも、ついていったところで獨島にとっては足手まといだろう。
いつぞやさくら君も含め三人で行動したときなど、「次は伊田君を
外した方が良いのではないか」などと真顔で言われてしまったくらいだ。
「おっ、そうだ。さくら君、今晩の予定はどうなってるの」
「あ、あの、今晩は父の岳父のいとこのお通夜があって……」
どうやら、また一か月待つほかなさそうだ。
 数日後の昼過ぎに、私たちは朝日奈氏を事務所へ呼び立てた。
褄子を見つけたので来てくださいと告げると、朝日奈氏は電話の向こうで
何度もお礼の言葉を繰り返した。二十分ほどして、朝日奈氏が息を
切らせながら事務所へ駆け込んできた。私はいつかしたのと同じように、
朝日奈氏を応接間へ通した。
「伊田君、こちらの方は」
「申し遅れました。私、当事務所の所長で獨島逸朗と申します」
一通り紹介が終わると、獨島は調査結果を包み隠さず報告した。
私も、調査の過程で知ったことは仔細漏らさず説明した。
 報告書を全て読み上げた獨島は、最後に突然厳しい口調になった。
「結果は以上の通りですが、先生を仁保さんと会わせることはできません」
「何を言い出すんだね君は。私が誰に会おうがどうしようが、
そんなことは私の勝手だ。君らに頼んだのは人探しだけだろう」
朝日奈氏はひどく興奮し、今までとは別人のようにいきり立っている。
だが、どんなに怒鳴られても獨島は微動だにしない。
「ひとつには先生の社会的地位を慮ってのことです。
しかしながら、本当の理由は先生の過去にあります」
過去、という語を聞いて、朝日奈氏の顔色がはっきり変わった。
「先生は青年時代、革命闘争に身を投じて当局に目をつけられ、
北野朝損に匿われた。正業に就いてからも関係は続いた――」
「なぜだ」という、絞り出すようなささやきが聞こえた。
「すみません。私が先生の娘さんから聞き出したんですよ」
私の謝罪を聞いて、朝日奈氏は力なく座り込んだ。
「そうか……では君らは、私と褄子の関係も知ってしまったのだね」
「ええ。あなたが褄子を、半ば身売りのようにして水商売に斡旋したこと。
その後、朝損の三男が褄子を見初めて結婚したことも」
「そして北野が、今になって私を脅迫してきたのだ」
 つまり、獨島が私を出し抜いて調べていたのはこのことだった。
「なるほど。それで我々に褄子を探させ、口を封じようと考えたんですね」
「いや、良心がうずいていたからだ。土下座してわびようと思ったのだ」
朝日奈氏は全てを語ってくれた。朝損は裏の顔を隠していたこと、
まともな仕事を斡旋してやると言ってきたこと、金銭だけでなく娘を朝損の
孫と婚約させるよう要求されていたこと。
「私が日ノ本興業と国の癒着を追求していたことは知っているだろう。
社長の日ノ本明治は『王国』と呼ばれるワンマン体制を築いていた。
だが、北野は日ノ本以上に政治家と裏のつながりがあった」
それどころか、北野は私を犯罪にまで巻き込んでいた――
そう言って朝日奈氏は顔を伏せた。すると獨島が追い討ちをかけた。
「要するに、そのような事実が明るみに出ることを恐れていたと。
やはり先生は、口封じを目的に依頼されたのですね」
朝日奈氏は何も答えなかった。代わりに、沈黙を守っていたさくら君が
おずおずと申し出たことには、さすがの私も驚いた。
「あの、でも、わたしは朝日奈先生を信じます」
「えっ。だけどさ、さくら君。先生は身売りをさせたような人だよ」
さくら君は私の疑問には答えず、朝日奈氏の目を静かに見つめた。
「先生のなさったことはもう時効です。でも、褄子さんのためを思うなら
自首してください。朝損は今でも悪事を繰り返しているのでしょう。
先生が全てを話せば、新たな犠牲者を出すこともありませんわ」
朝日奈氏は無言のまま、一度だけ大きくうなずいた。
 あれから一週間が過ぎ、大学教授の黒い交際関係を報じる記事も
いくぶん少なめになってきた。警察の協力要請がうちにも来たため、
獨島は連日事情聴取を受けねばならず、その間は私とさくら君が
休日返上でフル稼働するはめになった。そんなある日の会話――
「ところで先生が批判していた日ノ本興業って、さくら君の親戚かい」
「あう、えっと、ち、違います。絶対に関係ないんです」(完)
 つまり、獨島が私を出し抜いて調べていたのはこのことだった。
「なるほど。それで我々に褄子を探させ、口を封じようと考えたんですね」
「いや、良心がうずいていたからだ。土下座してわびようと思ったのだ」
朝日奈氏は全てを語ってくれた。朝損は裏の顔を隠していたこと、
まともな仕事を斡旋してやると言ってきたこと、金銭だけでなく娘を朝損の
孫と婚約させるよう要求されていたこと。
「私が日ノ本興業と国の癒着を追求していたことは知っているだろう。
社長の日ノ本明治は『王国』と呼ばれるワンマン体制を築いていた。
だが、北野は日ノ本以上に政治家と裏のつながりがあった」
それどころか、北野は私を犯罪にまで巻き込んでいた――
そう言って朝日奈氏は顔を伏せた。すると獨島が追い討ちをかけた。
「要するに、そのような事実が明るみに出ることを恐れていたと。
やはり先生は、口封じを目的に依頼されたのですね」
朝日奈氏は何も答えなかった。代わりに、沈黙を守っていたさくら君が
おずおずと申し出たことには、さすがの私も驚いた。
「あの、でも、わたしは朝日奈先生を信じます」
「えっ。だけどさ、さくら君。先生は身売りをさせたような人だよ」
さくら君は私の疑問には答えず、朝日奈氏の目を静かに見つめた。
「先生のなさったことはもう時効です。でも、褄子さんのためを思うなら
自首してください。朝損は今でも悪事を繰り返しているのでしょう。
先生が全てを話せば、新たな犠牲者を出すこともありませんわ」
朝日奈氏は無言のまま、一度だけ大きくうなずいた。
 あれから一週間が過ぎ、大学教授の黒い交際関係を報じる記事も
いくぶん少なめになってきた。警察の協力要請がうちにも来たため、
獨島は連日事情聴取を受けねばならず、その間は私とさくら君が
休日返上でフル稼働するはめになった。そんなある日の会話――
「ところで先生が批判していた日ノ本興業って、さくら君の親戚かい」
「あう、えっと、ち、違います。絶対に関係ないんです」(完)

この作品の評価を投票この作品の評価   結果   その他の結果 Petit Poll SE ダウンロード
  コメント: