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第54話
あさぎり ◆aKOSQONw
投稿日: 2005/05/23(月) 11:56
−Zooropa−
通い慣れた街だった。行きつけの店で女を口説き、酒を酌み交わして喧嘩をする。
静かにグラスを傾けるこの店も、確か何度か入ったことがあった筈だ。
別に昔の思い出に浸りたくてここにいる訳ではなかった。引っ張り込んだ男を言いなりにするために
この店を利用している貴婦人を捕まえたいだけの話だ。
目当ての人物はショットグラス3杯分の時間を勿体づけて現れた。癪に障る高笑いと、豪華と虚飾を
勘違いした髪型は相変わらずだ。
雇われホストを3人引き連れて、多分ワインでいい気分になっていたのだろう。注目される女という
ものはどういうものか、ご立派なご高説をお示しになっていた。
当たり前のようにVIP席に座り、注文もしないのに酒が出てくるのを満足そうに眺めながら、ホスト
に軽口を垂れ流し続けた。
「失礼マドモワゼル、豚に餌をやる前に俺の質問に答えてもらえるかな?」
瞬間ホストの一人が立ち上がり、胸倉を掴む。首筋に覗く金のネックレスが絞首台のロープに見えた。
金づるの前で虚勢を張るのはいいことだ。のしてしまうにしろやり込められるにしろ、パトロンの
覚えめでたき勇敢さだからだ。黒んぼの顔は全部同じに見えるが、こいつもフランソワーズに目を
つけられて借金まみれにされた口に違いない。
「口の利き方がまずいのは、親に見離されたせいかしらね、探偵さん。」
「なに、取り巻きがいなきゃ安心できないところから成長しただけさ。」
「あら、ご挨拶ですわね。あなたは成長と堕落を取り違えていませんこと?」
「それは言い方を変えた同じ結果だよ、フランソワーズ。」
二人でどうでもいいような笑みを交わし、フランソワーズは目配せで取り巻きを下がらせた。
向かいの席に腰を下ろし、遠慮なしに眺め回す。
寄る年波に勝てないのを色々と工夫してごまかしているのは、どこぞの没落名家のお嬢様と同じだった。
反目し、いがみ合うわりにこの二人は人生の軌跡が呆れるくらい符合する。もしその事を口にすれば
反論の2ダースくらいは返って来そうなのでやめにした。
視線にめげず、フランソワーズはだらしなくソファに寄りかかり、あごを勺ってこちらを見下ろし
ている。目線が同じ高さでも相手を見下す態度が取れるその技術に歓心はしても、見てる側がそれを
気に入るかどうかはまた別の問題だ。
「相変わらず不躾な男ね、あなた。」
「まあ、似たもの同士惹かれあうものだ。気にしないほうがいい。」
「私に同類なんていなくてよ。」
「偶然だな、俺もそうだ。その酒をもらおうか。」
フランソワーズはショットグラスにブランデーを注ぐと、一つを目の前に置いた。甘い香りが漂う。
一気にそれを煽ると、胃の中が焼け付いた。
ポケットからタバコを取り出し、ライターを探っているとフランソワーズが火を差し出した。小ぶり
な銀製のライターで火をつけてもらうと、フランソワーズに向けて煙を吐き出した。
「で、私に何が聞きたいのかしら?」
自分のタバコにも火をつけながらフランソワーズはいらいらと尋ねた。そう、物事を手っ取り早く
終わらせるには、相手に早く終わらせたいと思わせる事だ。
「シリアはどこにいる?」
「誰ですの?その方。」
「調べはついている。今は黒焦げになった教会の出入り業者にあいつの名前があった。雇い主は
君なんだよ、フランソワーズ。」
「従業員の名前なんて一々覚えていると思って?」
「思い出すことは出来るだろう。特に最近は取り立て屋や請求書の類が思い出せないようだね。」
そっとギニア名義の通帳のコピーを差し出す。こんな口座があるなんてギニア本人は多分知らないだろう。
フランソワーズが勝手に作ったものだからだ。
「夜逃げの準備は万端か?」
2本目の煙草に火をつけて尋ねると、フランソワーズは溜息でそれに答えた。
*
飲み屋街の近くに深夜営業の肉屋がある。立地も怪しいが、売り物は普通の肉に腸詰、それと愛想の悪い
店主。表向きはまともだった。煙草をゴミだらけの歩道に投げ捨てて、音の割れたラジオを忌々しく思い
ながらその店に近付く。
「商売は順調みたいだな」
肉屋のカウンターの向こうで、血まみれのエプロンで顔を拭っていた人物はゆっくり振り返った。
客だろうが知り合いだろうが表情一つ変えず応対するEU街の肉屋の店主、ゲルマッハ。
「人は何か食べなければ生きていけない。肉屋を継いだのは賢明だったよ」
「夢見がちな妹さんはそうではなかったようだな」
「あれもだいぶ元気になった」
「客を取れるようになったのは良かったじゃないか。でもあまりマカロニーノから怪しげな薬は買わない
方がいいと教えてやれよ。それにしてもまともな家族がお前以外いないのには同情する」
「同情は要らないが、売り上げに協力して頂ければ助かるね。君の父上は我々零細業者の敵だよ。」
「俺も零細業者さ。しかも需要があまり無いんだよ」
「それには同情するよ」
こっちの笑顔にはいつもの無表情がかえってきた。
「話は事務所で聞こうか。どうも昔話をしに来た風情ではない。アルザス、表を頼む」
アルザスと呼ばれた男が不審さを隠さない目で一睨みして店に出てきた。ゲルマッハは事務所の奥に
何もいわず入って行く。やる事といえば、アルザス君の頭をそっと撫でて後に続くことだけだ。アルザス君
はしつけの悪い犬の様にその手を振り払った。
「肉屋だけでは食っていけない訳か」
「そういう事だ。叩いても埃は出ないが」
カマを掛けてみてもいつもの調子だった。昔から証拠と根拠の無いものには一切耳を貸さなかったが、
聖書の厚さと同じでこいつもまるで変わらない。
「どうせ他の連中に保証人を押し付けているんだろう?」
そう言ってフランソワーズから手に入れた求職リストを差し出した。保証人の欄は計った様に同じ名前が
無い。
「調べる側に苦労を押し付けているようなリストだよ。誰かに保証人の身元調査をしてもらいたいもんだ」
「今君がしている」
「確かにね」
「労いを込めて一杯どうだ?」
断りを入れる前にマグカップにウォッカが注がれた。
「よく調べているな」
自分のコップに注いだウォッカを飲みながら、ゲルマッハが言った。相変わらず何の変化も無い。
「タレコミ屋が優秀でね。今頃一杯やって日課の夫婦喧嘩の最中だろうがな」
「シリアは目の前を通って行った気がするが、記憶にはない」
「時々近くのものが見えなくなるほど目が悪くなってるんだな」
「お互いもうそんなに若くはない」
それは否定しないが、改めて言うことではない。
もう少しお話をしたかったのだがいきなり頭が重くなり、持っていたマグカップを床に落とした。零れた
ウォッカが服を濡らす。だがこれはウォッカの酔いではなかった。
「どうした、まだ一杯目じゃないか。早くこれで拭きたまえ」
縫い付けられたように口が開かない。投げてよこしたタオルに手を伸ばせなかった。耐え切れずに椅子の
背中に寄りかかる。
「残念ながらサイズの合う服が無いのだよ。濡れてしまって気の毒だが。」
服はどうでも良かった。ゲルマッハは無表情に続ける。
「死にはしない。暫く大人しくして欲しいだけだ。因みにそのうち成分分解されて検死解剖にも結果は
残らない。そういう薬だよ。」
それはいいものだなと思った。いつかネタを揃えて浚いに来よう。コートのポケットに手を突っ込もう
としたが、もう自由が利かない。全く使える薬だ。
「何も考えなくていい、寝ていたまえ」
語尾は聞き取れなかった。ゲルマッハがもう一人いて、体を覆いかぶせるようにしてのしかかってくる
気がした。
to be continued
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(*^ー゜)b Good Job!!
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