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第58話 あさぎり ◆aKOSQONw 投稿日: 2005/05/26(木) 18:44
−The Hands That Built America−

 「世界が燃えている…」
 それが最後の言葉だった。
 消えていく意識の中でその声は不確かになり、やがて真っ暗になった。
 ベッドの中で何度も確かめた柔らかい肌と悲しそうな目。その目を見るのが嫌で力づくで迫ることの
方が多かった。
 「あと少しだけでいいから、ここにいて」
 その言葉の真意を理解するほど冷静ではなかった。嵌められたと気付いた時には大体もう遅いものだ。
この時もそうだった。

 手荒に車のドアを閉めると、きちんと閉まらずに反動でまた開いて足に当たった。そっと閉めると
半ドア状態になったので、そのままにすることにした。さすがにそろそろ買い換えないといけない。
 インターホンで名前を告げると、鋳鉄の門扉がするすると開く。新婚家庭には過ぎた大きさだが、
じゃじゃ馬の檻としては物足りない。
 ノッカーも叩かずにドアを開けると、3日前に遠目に見ていた妹が映画のセットのような階段を降りて
くるところだった。
 「武士は仕事に行ってるの。」
 粋な第一声だ。自分目当てで兄が来たと思ってもいないようだった。
 「雇い主にも報告しなければならない所だが、今回はさすがにお前にも言っておかなきゃいけないと
思ってね、ラスカ」
 「何年ぶり?」
 「忘れたよ」
 「そう。こっちへどうぞ、お客用のウィスキーくらいなら用意しているわ」
 「ありがたいね。出来ればショットグラスもあればいいんだが」
 「ごめん、ワイングラスしかないの」
 「別に構わないよ」
 読んだ形跡の無いぶ厚い本が並ぶ本棚、火の気の無い暖炉、樫のテーブルに本皮のソファ、飼い犬の
ような妻。こんなものを手に入れるために必死に働く人間が世の中にはごまんといる。そういう殊勝な
連中は、自分で手に入れたならラスカのような顔はきっとしないだろう。
 「幸せそうじゃないか」
 「ありがと。お金持ちの親、優しい働き者の夫、快適な家、盛大な結婚式。これで幸せじゃなきゃ
どうしようもないって所ね」
 ワイングラスに注がれているのはボンベイサファイアだったが、ラスカに酒を選ばせた自分を心の中で
5回詰って口をつけた。
 「多分探偵の兄貴がいるから、その幸せがつまらなくなっているんだろうね」
 「嫌味を言ったわけじゃないのよ。誤解しないで」
 「別に誤解はしていないつもりだ」
 埃の積もっていそうなガラスの灰皿を引き寄せると、煙草を取り出して火をつける。丁度最後の一本
だったので、紙パックを丸めると灰皿に放り込んだ。
 「盛大な結婚式ね。演出にしては花火が派手だったな、ラスカ」
 「びっくりしたわ。私も間一髪だったのよ」
 「ああ、タイミングは丁度よかった。少なくとも新郎新婦と居たたまれなかった護衛役は逃げられた
からね」
 「何か、含みがある言い方ね」
 「義理の父親の顔に泥を塗れた。さぞかし溜飲を下げれただろう。いやなに、別に責めているわけ
じゃない」
 グラスを一気に煽って空にした。昼を抜いてきたので胃の中が焼ける。ラスカの表情が険しくなってきた。
それはそうだろう、事実ならごまかさなければならないし、そうで無いなら濡れ衣だ。
 「まるで私が仕組んだみたいな言い方ね」
 「まるで、じゃないだろ」
 「何を根拠に言ってるのかわからないけど、犯人呼ばわりされるのは面白くないわ」
 「誰だって嫌なもんさ。別に仕組んだのがラスカかどうかはどうでもいいし、証拠があっても俺が握り
潰していたと思う。あの男の面子を潰してくれたんで拍手喝采したい所さ」
 「別にあなたがどう思おうとどうでもいいわ。私はそんな言いがかりをいかがわしい飲み屋で言いふらして
欲しく無いだけよ」
 「いかがわしくない飲み屋なんてないよラスカ。それにその噂をおおっぴらに言えば俺がパパさんに背中
から刺されてしまうよ」
 もうお酌をしてくれそうになかったので、青い瓶を引き寄せるとワイングラスに注ぐ。好きでは無い酒
だったが、無いよりましだ。
 「いっそ二人でナイフを持ってチークダンスを踊ればいいんだわ」
 「俺が望んでも向こうは望まないだろう」
 「そうかもね」
 今日ここに来たのは、近所でも有名だった兄妹仲に縋って真相がどうか確かめにきたのだった。別にラスカが
ロシアノビッチに何を頼もうが知ったことではない。ただ単純に巻き込まれた当事者として、どういう
目的で今回の茶番を仕組んだのか確かめたかっただけだ。無論飼い主の事を考えれば、そう簡単にラスカが
白状するはずもなかった。こっちとしても、料金外の業務なので追求する気も更々なかったが。
 今回のことをラスカが仕組んだのかどうかは、可能性の問題でしかない。ただ、自分たち兄妹が共に
味わったものが何だったかを考えたら、父親を嘲笑する挙に出ても何の不思議もない。
 「今の生活を、どんな思いで選んだかあなたはわからないんでしょうね」
 ラスカは自嘲気味に言った。別に解らなくもなかった。むしろダンスを踊る相手が生きていたら、俺も積極的に
同じ道を選んだだろう。それだけの違いなのだ。
 「何度でも言うけれど、別段ラスカを困らせようと言うわけじゃない。信じてもらえないだろうけどね」
 「信じろと言うほうが無茶じゃないかしら」
 「そうだな」
 否定はしなかった。逆の立場なら一体どういう言葉を返すだろうか。語り口や語調の違いだけで、内容は
大差なかったと思う。
 「あの男の利益になるような事はしない。目的さえ果たせばそれ以上協力するつもりも無い。それを
周りが信じようが信じまいが気にすることはしない。金をくれればなんでもする。ハイエナはそういう
生き物なんだよ、ラスカ」
 飲み慣れない酒に嫌気がさしたのもあって、ソファから腰を上げた。最後の希望は絶望への前奏。それを
認める事は、何か守るものがある人間には辛いものだ。
 無言で立ち去り、無言で見送る。この作り物の兄妹には、それがお似合いだ。

 *

 門を出て車に乗り込んだ。エンジンをスタートさせたがかからない。バッテリーが上がってしまったのか、
ガス欠なのか、持ち主の職業が気に入らないのか、理由はそれのどれかか若しくは全部なのだろう。
 レッカーと修理代を考えると中古車を買った方が安い気がした。取り敢えずどうするか考えることにして、
買い置きの煙草の封を切って一服した。半分吸った頃、黒いワゴンが門を潜ろうとして、邪魔なポンコツ
に向けてクラクションを鳴らしてきた。いい車だった。
 「故障車なんだ」
 窓を下ろしたところに手をかけて、車の中の人物に声をかけた。そこにいたのは日之本武士だった。
多少やつれてはいたが、濁った目の奥には相変わらず何かありそうなままだ。
 「ああ、探偵さんか。お久しぶりです」
 「久しぶりだねサムライウエスタン。今日は刀が無いんだな」
 「生活に困って売り飛ばしましたよ」
 「代わりにこの家を買ったということか」
 「ついでに女房が付いていましたけどね」
 「結構なことじゃないか」
 乾いた笑いと嫌味なだけの丁寧な会話。今はそれが心地いい。少なくともそこには理解の範疇に人間の
感情がある。
 「修理も金がかかりそうなんで安いスクラップ屋を紹介してもらえると有難い」
 「爆弾積んで爆発させればいいんじゃないですか?場所も丁度おあつらえ向きだ」
 「それはいい、ついでに活きのいいレッカー屋とテロリストを紹介してくれ。お前さんの新しいパパに
一発挨拶しに行ってやるよ」
 「どこか行きたいところはありますか?タクシーしますよ」
 武史は曖昧に笑い、そう言った。昔から気に入らない奴だったが、今は訳の解らない奴になった。
 意外だったが、渡りに船だ。お言葉に甘えることにして、排水溝に煙草を投げ捨てた。
 「行き先はここじゃないどこか、と、仕事じゃないなら言いたいけどね。パパの家に連れて行って
もらえるかな。道すがらパパの機嫌の取りかたを教えるよ」
 「実の息子みたいに捨て駒にされる前くらいまでは役に立つ程度のものですか?」
 「ああ充分さ」
 「いいですよ、それでチャラにしましょう」
 車を半周して助手席に乗り込む。ラジオからはこの二人には不釣合いな曲が流れていた。
 静かに車が滑り出し、国道に合流した。車というのは、元々こんなに快適な乗り物だったのかと思った。
 数日後の新聞記事を夢想する。重要参考人として出頭するアルバニア。その日の夜拘置所で首吊り、
真相は謎のまま捜査打ち切り。多分こんなところだろう。
 良く出来た話だ。そして水面下でまた同じ事の繰り返し。それでいい、誰も自分以外の誰かが一人勝ち
することを望んでいない世界で、これくらいが精一杯だろう。
 素直に幸せを望む人間は早死にする。生き永らえる為に悪者や愚者を演ずる他に、生き抜く術の無い
この世界では―――――。

 雨が降り始めて武士はワイパーのスイッチを入れた。フロントガラスに退屈そうにワイパーが往復を
始める。

 晴れた空を見上げなくなったのは、いつからだったろう。

 Ende

解説 あさぎり ◆aKOSQONw 投稿日: 2005/05/26(木) 18:47
□あとがき
※ やっと脱稿しまふ…あさぎりです。相も変わらずの救いようが無い中年どもの世界でございます。
 長々と投下してしまい申し訳アリマセンでした。明日までの予定でしたが、少々圧縮できたので今日
 でおしまいです。
※ 初見の人に説明すれば、主人公はアメリー。元警官の浮気調査が依頼の大多数の探偵です。
 この世界ニホンちゃんはいません。タイワンちゃんも宿無しです…あまつ探偵さんやる気あんまし
 ないです。おまけにこの探偵さん、コネやサポートがあると思いっきりそれに頼りますw
※ 言い訳じゃあないですが、皆借金まみれだったりってのにはある程度根拠あります。国家が
 無借金の健全運営って、ウリの知る限りどこも無いんですよねwヨーロッパなんぞは戦備に
 明け暮れて、まともな財政状態が維持できない戦争の歴史みたいなもんですし…後進国は援助や
 借款という名の借金漬け。先進国は自らの借金省みず軍備に援助。国家予算すら組めない国も半島に
 ありますしねえ(ニダリ
※ ハイ、萌えキャラが悉くえらい扱いなのに皆さんお怒りと存じますが、謝罪には応じても
 賠償は致しかねます。それでも賠償請求される場合はハ○信組の今から言う口ざ ウワナニスルニカヤメ…

□おまけ
 毎度毎度リクも無いのにタイトルは1グループの曲と決めてまして、この度はU2のアルバム名と曲名を
拝借いたしました。
▽"Under a Blood Red Sky"【アンダー・ア・ブラッド・レッド・スカイ】
 1983年発表の4作目のアルバム名。1話目のSunday Bloody Sundayも収録。
"Sunday Bloody Sunday"/収録:War
  北アイルランド血の日曜日事件を歌った歌。なんでもこれ発表した後当局にマークされる羽目になった
  とかなんだとか
"Staring at The Sun"/収録:POP
  何となくウエスタンな気がしたんで…、実際はチガウっぽいけどwオンリーワンではなくなった男への挽歌ですかねえ?
"Zooropa"/収録:Zooropa
  ベルリンの壁崩壊による東西冷戦の終結。その熱気が冷めた後の寂寥感ある歌です
"Miss sarajebo"/収録:Original Sound Truck[PASSENGERS] ※PASSENGERSはこのアルバムの為の名前。中の人は殆ど一緒w
  ユーゴ内戦への鎮魂歌みたいな感じの曲です。
"The Hands That Built America"
  ディカプー主演の映画『ギャング・オブ・ニューヨーク』の主題歌。ハイ、映画はみてまへん。

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