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第17話
どぜう
投稿日: 2005/01/07(金) 06:46
「いつか見た桜、さくら」
――夢を見ていた。
茅葺きの、大きな屋根。その縁側に私は座っていた。
庭先には、鞠が置かれていた。
それは私の、最初の宝物だった。
鞠をついて遊ぶことが好きだった。
私は男だったが、鞠つきは楽しかった。時間を忘れて、私は鞠をついた。
ある時、その庭先に一人の老人が訪れた。
彫深い顰めたようなその顔から、表情は伺えなかった。
声を上げる間もなく、その老人は私の掌から鞠を取り上げた。
「――男子たる者、鞠をついて遊んでいるなど恥ずかしいことですぞ」
そう云うと、その老人は、私に竹刀を手渡した。
それからの私は、鞠つきに代わって、竹刀を振るのが日課になった。
髭の老人――私はこっそりと、彼のことをひげ先生、と読んだ。
彼は、私の教育係となった。
私は厳しく躾けられることになった。
恨むこともあったが、実直な人柄は恨むよりも、むしろ私を敬慕させた。
後に聞いたことだが、私の為に二人の子を失ったと聞く。
彼は多分、私に父の如く接してくれていたのだろう。感謝の言葉もない。
初めは嫌々だった剣術の稽古も、次第に楽しくなっていった。
「いつか見た桜、さくら」
――と…さん…義父さん?
私を起こす声が聞こえた。
目蓋を開く。
ただ、白一色の天井。
「ジミン、か」
「はい」
義理の息子が、私を覗き込んでいた。
「夢を、見ていた」
「夢、ですか?」
「ああ、子供の頃の夢だ」
鼻から挿れられたチューブのせいで、息苦しく、喋り辛かった。
しかし、それも仕方がない。私は重病人なのだ。
「…今日は、何日だね?」
「年が開けて、もう7日です」
「そうか…来月にはもう立春だな…」
「はい」
「立春が過ぎれば、もう春だ」
「そうですね」短く、息子が応えた。
「…春になれば、桜が咲く、
この部屋から見える庭からも、咲き誇る様が見えるであろ」
「…はい」
「車椅子を…」私がそう云って手を上げる、と。
息子は甲斐甲斐しく、部屋の隅に折り畳んでいた車椅子を組み立て、
私の寝台に運んできた。
「私同様、この樹も年老いた」
息子に車椅子を押してもらいながら、私は庭の桜の木に手を伸ばした。
皺だらけの、節くれ立った手。
かつて幾多の修羅場を切り拓いた刀も、もはや満足に振れぬ、
枯れ木のような、この手。
格別の想いはない。ただ年老いたと思うだけだった。
「なあ」
「はい」
「この樹は、今年も花をつけるだろうか?」
「もう、年老いていますから」そう、正直に息子は答えた。
「そうか」
私は苦笑し、幹に、そしてその先の枝に、目を遣った。
「…私は、こう思うのだ。
例え、明日枯れて折れるやも知れぬ樹でさえ、
その裡に花を咲かせる準備を整えておる。なぜだろう?」
「……」
「桜は、いや。普く生き物は、無心に明日を信じておる。
…人だけが、明日を生きることを諦める」
「……」
「私は、あの子には、明日を諦めて欲しくはないのだ」
「…はい」
「少しの間でいい、独りにしてはくれんか?」
「…はい」
そして、私は、庭に独りになった。
「いつか見た桜、さくら」
老木もまた、いいものではないか。
そう独りごちながら飽くことなく、桜の樹を眺めていた。
人を勇気づけてくれる。
言葉はなくとも、雄弁に語ってくれる。
何を思うとなく、私は目を閉じて、何かを思った。
不意に、手の甲に何かが触れた。目を開く。
それは、花片だった。
幻のように、淡く消えていく、真白き花片。
「……ああ」
花片は尽きることなく舞落ちる。
まるで、空一面が咲き乱れたように、
花は咲き誇っていた。
目を細めてみる。
一ひら、二ひら。
舞落ちる花片は、数を増していく。
――いい光景だ。
私は、ただ笑った。見ることが出来ぬと思っていた。春の花を。
今こうして見ることができた。
舞う花片の数は増してゆくばかりだった。
花片は光り、輝きながら。私の肩に、頬に、腕に、掌に。
優しく降り注いだ。
光を凝り固めたような花片が。私を。包む。
誰かに呼ばれた気がした。
振り向いた。無数の人が、私を待っていた。
一人、その人の中から懐かしい面影の人が、進み出た。
「――先生」
ひげ先生だった。
先生は無言で、私に鞠を差し出した。
紅い、紅い。あの日に私から取り上げられた。鞠を。
震える手で、鞠を手に取った。
還ってきたのだ。私の手の中に。
私は、鞠を胸に押し抱いた。
そして、高く、高く空に掲げてみる、
純白の、光り輝く空に映えて、紅い鞠はまるで我が家の旗のようだった。
空が、天が光り輝いていた。
これが――
自分が死ぬのだということが、はっきりと判った。
恐怖はない。
振り返り、懐かしい人々を見回した。皆笑っていた。
笑いながら、光り輝いていた。
死は訪れるものであると人は云う。
別のある人は、死は赴くものであるという。
私の死は、赴くものでありたい。
私は、一歩を踏み出した。
私は征くぞ。満開の花の下。お前の元に――――
解説
どぜう
投稿日: 2005/01/07(金) 06:51
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8C%E5%A4%A9%E7%9A%87
不敬千万ですが、一度書いてみたいと思っていた題材でした。
思っていたことの十分の一も表現しきれませんでした。
不敬ですのでこちらに上げさせていただきます。
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(*^ー゜)b Good Job!!
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