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第1232話 食道楽 ◆SFfaneMU 投稿日: 2002/09/23(月) 20:39 ID:u59Wd8w2
「その家、二つに分かれて争わば、彼らが存続はかなわじ」


 …幾度か徴候のような事が有りました。四日前…五日前?幾度か「彼」は河を越えてやってきました。
しかし、「彼」は何もしませんでした。その時は。
「何故ニダ。何故こうなったニダ。」
走りながら少年は考え続けていました。事の起こりは三ヶ月も前だったでしょうか。
 「カンコ家の家長をこちらだけででも協議して決めるべきニダ!家族会議の開催を要求汁!」
アメリー家とロシアノビッチ家(当時はソビエト家、と呼ばれておりましたが)による協同管理─莫斯科の間で
決められた協同管理方式にカンコパパは反対し、北側のキッチョムパパを無視して「カンコ家家長」を
決定してしまったのでした。そして分かれた家の息子、少年の兄弟「彼」が河を渡って襲い掛かってきたのでした。
 徴候は有りました。少年─カンコ君はソビエト家の鉄人小父さんがキッチョム君に新型ナイフ─「守り神」とさえ
呼ばれた逸品を手渡し、使い方を手ほどきしていたのも知っていました。
カンコ君とてそれを黙ってみていたわけでは有りませんでした。アメリー君に新しいナイフを頼んだ事も有りました。
最も、「君の家では思った様に振り回せないし、効率的ではないよ。それに…日帝製ナイフなら、
君の家に有る<2.36木槌>で簡単に撃退できるじゃないか。」と言われたため、諦めざるを得なかったのですが…。
 そして、昨日。「彼」─キッチョム君はやって来ました。運悪く、カンコ家では「ソウルの間」の改装を終え、
一昨日の夜行った落成パーティのせいで、対応が遅れ、あっと云う間に「ソウルの間」を奪われ、
「水原の間」を奪われ…。(カンコパパは、「ウリはソウルの間から動かないニダ!」、とごね続けていましたが)
遂に、玄関と「釜山の間」を残すのみと為ってしまいました。
(アメリー君は嘘吐きニダ…。何が「この<2.36木槌>さえあれば簡単にナイフを切れなくさせれる」ニダか…。冗談が過ぎるニダ。
アメリー家に謝罪と賠償(略))
 勿論、このような状況になる前にアメリー君に助力を求めたのですが…。
「たかが蛮族如きに負ける筈が無いよ。」とキッチョム君を侮り、丁度日本家に置いてあったナイフ<チャーフィー>だけを
もって挑んだのです。…結果は、惨敗でした。<チャーフィー>は、軽い事だけが取り柄でしたから…。
 又、犬をけしかけてて追い返す、と云う作戦も考えたのですが…アメリー君が最初に連れて来た犬<パンサー>は、
キッチョム君の<ファゴット>に全く対抗できず、傷だらけになって引き返す破目になりました。
 「もし「釜山の間」そして、玄関から叩き出されれば、我々は二度と戻ってこれない!固守か滅亡か、だ。」と
アメリー君は当時認識しており、そしてそれは全く正しかったのです。
「釜山の間」を除いて、仕返しに必要なナイフ・犬・食糧を蓄積し、運びこめるような場所は既に無かったのですから…。
それからの二日間は激戦となりました。幸いなことに<ファゴット>にはスタミナが無く、長距離を走破できる<Yak-9>は
「釜山の間」に連れてこられていた<ムスタング>に経験・能力の全てに劣り、犬の脅威から解放される事となりました。
 又、新しい<3.5木槌>は当たり所が良ければ<T-34/85>ナイフを欠けさせる事が出来たため、徐々に
ナイフの魔力は失われていきました。
 続々と各家─連合陣営から送られてくる犬、ナイフも「釜山の間」防衛の助けとなりました。
<セイバー>は<ファゴット>に比べると能力の面でやや劣りましたが、経験と数の差が物をいい、犬の脅威も徐々に減殺されました。
又、<コルセア>は「赤いお家のナイフ潰し」と後にいわれるほどの活躍をし、遂にキッチョム君は、
犬の寝ている夜にしか行動出来ない状態にまでなってしまいました。
 そして、アメリー君が「仁川の間」の窓から侵入し、後背をとった事で、状況は逆転しました。
キッチョム君は再び河─漢江を渡る事となり…カンコパパの「一気呵成に前進し、滅共統一汁!」という強硬な
意見に引き摺られ、カンコ君とアメリー君もまた、漢江を渡り進む事になったのです。
 順調に進む事が出来ました。「平壌の間」はカンコ君の機転とアメリー君の好意と努力のおかげでカンコ君が一番乗り出来、
鴨緑江─キッチョム家北限も間近かと思われました。
 しかし…、
(妙ニダ、何でこんなところにチューゴ君の弁当箱が落ちてるニダか?ひょっとするとひょっとするニダ…)
「アメリー君、チューゴ君がキッチョムに手を貸してるかもしれないニダ。注意汁」
「…注意しておこう。もう彼の参加する最良の機会は逃がしていると思うけどね。」
 「結局、何も起こらなかったじゃないか。僕達は無事にこの…何河だっけ?に着いた。
さあ、頼まれた通り、水を汲んで帰ろうじゃないか。後々忙しくもなるし。」
 「水を汲むのはいいニダが…どうも、ウリナラの統一は無理そうニダね。だから言ったニダ。」
何だか得意げに言いながら、カンコ君は河─鴨緑江の向こう岸を指差しました。
そ処には、チューゴ君が立っていました。彼等はキッチョム君を追いかけるために渡った河をもう一度
反対方向に渡る羽目になりました。
 それからは一進一退の攻防になりました。アメリー君が<スーパーフォートレス>を放ちキッチョム家を荒らせば、
チューゴ君が夜中に銅鑼を鳴らしながら襲い掛かり、キッチョム君はカンコ家に忍び込んで暴れ回る、といった具合でした。
そんな状況が、鉄人小父さんが逝去するまで続いたのでした──。


 それから暫く後のある日の事。カンコはあの日々の事を思い出しながら、思考を巡らせておりました。
(何故、あんな事になったニダか?ウリは何も悪い事はしていなかったニダ。)
「そうニダ!ニホンが全部悪いニダ!謝罪と賠償を要求するニダ!」
カンコ君は嬉々として部屋を出て行きました。無論、誰にも相手にされなかったのですが…。


めでたくなしめでたくなし。

解説 食道楽 ◆SFfaneMU 投稿日: 2002/09/23(月) 20:41 ID:u59Wd8w2
初めて書き込ませて頂きます。スレ汚し失礼致します。解説状のものを若干付記させて頂きたいと思います。
<T-34/85>:T-34/85
 第二次世界大戦における最優秀戦車との呼び声も高い中戦車T-4/76、其れを85mm砲砲塔に積み替えた改良型です。
少なくとも開戦後二ヶ月は地上で最強の兵器であり、国連軍を釜山まで
追い詰める原動力と成りました。然し、制空権が国連軍側に渡り、M26やセンチュリオン等の
主力戦車が揃い始めると、急速に活躍の場を狭められていきました。
戦争後半になると、昼間は殆ど活動不能となり、夜間にも多くの損害を出す様になりました。
http://www.vwip.org/images/armor/t34_2.jpg
<チャーフィー>:M24 チャーフィー
 偵察任務をこなすために開発された軽戦車で、日本に駐留していた米軍が装備していました。
開戦直後には、国連軍にある唯一の戦車として対戦車戦闘に投入されましたが、
T-34に圧倒され、大きな損害を出しました。カタログ・データでは75mm砲を備えておりますが、
元々はB-25ミッチェル爆撃機用の軽量砲であり、装甲貫徹力は大きくありませんでした。
其のため、M4やM26といった対戦車戦に投入可能な戦車が揃い始めると、偵察や歩兵支援といった、
本来の任務に戻って行きました。
http://www.vwip.org/images/armor/m24_1.jpg
<ファゴット>:Mig(ミコヤン・グレビッチ)-15 ファゴット
 敵の重爆撃機を迎撃する事を前提とした、優れた上昇力と加速、
そして37mm機関砲を含む大口径機関砲を装備した迎撃戦闘機です。
機体の基本概念は第二次大戦後独逸から入手したもので、エンジンもロールスロイスの模倣であったそうです。
強力な迎撃戦闘機で有る反面、急旋回中に錐揉みを起こす癖や、低空に於ける運動性の低下等、
制空戦闘機としては若干問題の有る機体でした。
http://www.hengist.co.uk/MiGAlley/img37.gif
<パンサー>:F9F パンサー
  亜米利加海軍はジェット艦上戦闘機の実用化を急いでおりましたが、性能的にものになったのはF9Fのみでした。
朝鮮戦争では地上攻撃と攻撃機の護衛の双方に活躍、鴨緑江橋梁攻撃が映画に取り上げられる等、海軍を代表する機体でした。
処が、性能的にはMigより見劣りする事が明らかになり、F9Fは後退翼を備えたクーガーに改良されました。
然し、朝鮮に到着したのが休戦直前でしたので、実戦には参加致しませんでした。
其の後、亜米利加海軍航空部隊では陸上機を上回る艦載機開発が最大のテーマと成りました。
http://www.is.northropgrumman.com/gallery/historical/images/f9f-2_47.jpg
<セイバー>:F-86F セイバー
 開発中に独逸の後退翼理論を知ったスタッフが設計を大幅に変更させ完成した機体で、亜米利加初の実用後退翼戦闘機でした。
当初はMig-15に対し劣る部分も有りましたが、戦争中にエンジンを強化し、主翼を改良したため性能的な差は殆ど無くなりました。
http://216.219.216.110/north-american/f86-15.gif
<スーパーフォートレス>:B-29 スーパーフォートレス
 朝鮮戦争時には流石に旧式化しつつある機体でしたが、其れでも、Mig-15が登場する以前は
共産国側に迎撃可能な機体が無く、ほぼ無敵を誇っておりました。勿論、Mig-15は大きな脅威では有りましたが、
非常に頑丈な機体であった為、迎撃を受けても何とか帰ってくる機体が少なくありませんでした。
因みに、どのような理由かは不明ですが、朝鮮戦争時には焼夷弾による爆撃は実施しておりません。
http://www.boeing.com/companyoffices/history/boeing/images/b-29.jpg
<木槌>:M20 スーパーバズーカ(2.36と3.5)
 携行用対戦車砲、米国版です。当初韓国軍に配備されていた2.36inchバズーカはT-34に全くと言っていいほど効果が無く、
既に開発されており、後に韓国軍にも配備された3.5inchバズーカでさえ、100m以内に近づかないと効果がないと云った
程度の代物でした。然し、対抗する事の出来る装備が手に入った事により、将兵は徐々に自信を取り戻し、士気の回復と
「戦車の魔力」を拭い去ると云う絶大な効果を発揮しました。
・カンコパパ:李承晩
韓国の独裁者。事実、彼は「滅共統一」を叫び、北鮮との対話の道を閉ざすと云う道を選択しました。
・鉄人小父さん:ヨシフ・スターリン
本名ヨセフ・ヴィッサリオノヴィッチ・ジュガシビリ。蘇連の独裁者。「スターリン」とは、「鉄の人」と云う意味となります。

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