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第1930話
有閑工房 ◆WOaKOSQONw
投稿日: 04/07/15 21:14 ID:cso81Rz4
『こころ』
いつの間にうたたねしていたのか…最近は油断する事が多くなったかもしれない。
うかつだとも思うけど、幸せな事だとも思える。あの張り詰めた時代が思い出語り
にできるからだ。
まどろんだ空気を振り切ろうと考え、廊下に出てみる。でも変わり映えはしない。
私の性格のせいであまり構ってもらえない庭の花も、自分勝手に勢いよく咲き誇る。
ほっといても勝手に成長するから、余計私も無頓着になってしまう。
従業員たちとの心地よい挨拶を当たり前のように交わす。サンダルを引っ掛けて表に
出れば……まあ、仲のいい人もいれば悪い人もいる。
でも今は付き合う人をえり好みできるのだ。それが当たり前と思う人たちに、この
気持ちはわからないだろう。
散歩のでしなに日傘を忘れたのに気がついたけど、構わずに歩き出した。
冬のない街の強烈な日差しは、軽い気持ちを後悔に変えてくれる。かといって引き
返す気にはなれない。今日はなんだか、前に進みたい気分だった。
木陰を縫って池のほとりの道を進む。擦れ違う人に目礼し、あるいは二言三言交わし、
たまに黙って通り過ぎる。なんでもない午後の、なんでもない日常。そして代わり映え
しない言葉。
蝉の声や車のエンジンの音がなんとなく間延びする。日差しが、全てを溶かしてゆく。
心の狭間に引き込まれる、そんなひととき。
*
私ははねっかえりのくせにあまり自分の知らないところには行かない性質だった。
だから思い出の場所に行こうと思ったら、歩いていけばどうにか行けてしまう。
ふと思いつき、陽炎を追いかけてあの人と初めて声を交わした場所に行く。
今は雑草が背高く生い茂り、やっとわかる間道から古ぼけた倉庫が垣間見える場所。
かつて血気盛んな従業員が寄り集まり、必死に経営の勉強をしながら夢物語を語った
場所。
そこであの人は控えめに座って皆の話を聞き、嫌がらせにやってきたチンピラに真っ向
から立ち向かっていた。
品切れの多い救急箱から薬をひねり出し、使い回しの包帯で何度治療をしただろう。
一度は胃薬を擦り潰して、片栗粉を使って軟膏にしてから塗り込んだ事さえある。正直
にその事を話しても、あの人は笑いながら『ありがとう』と言った。
あの笑顔に胸を締め付けられ、ある意味騙されたのかもしれない。
あれは祭りだったのだろうか、それとも若気の至りだったのだろうか。
夢のような思い出も、それが実際に起こっていた時には現実だったはずだ。
倉庫の中には思いに任せて壁に炭で書いた走り書きが今でも残っている。文字の一つ
一つが私の心に何か語りかけてくるようだ。実際、どうしようもない時には、何度も
この時のことを噛み締めた。指で文字をなぞりながら、私は自分の時間を巻き戻す。
周りの冷やかしのせいか、私たちが勢いでしてしまったのか判らないけど、心を開いて
体を許すのに時間も順序も関係なかった。
相手への思いやりとか、尊敬とか、言葉にすると平凡だけれど、私たちには一つに
なって生きたい気持ちがお互いにあったと思う。勿論今でもそうだけど。
それだけ強烈だからこそ、別れなければならない時があるなんて、私には考えもしない
事だった。
ある日突然あの人から切り出された言葉は、心底私を打ちのめし、裏切られたんだと
思い込んで辛辣な言葉を散々に浴びせてしまった。あの人は悲しい微笑を浮かべ、私の
言葉を黙って聞いていた。
夜がほの明るくなり始めた頃、長く感じた沈黙の後であの人は静かに語り始めた。
「僕たちは生き残らないといけない。この家を守るために。だから、別れて暮らそう。
例え一時別れても、またいつか一緒に暮らす日を夢見よう。今は夢しか見れないのだから。
そして、どちらかがここに戻れない遠くへ行く事になるかもしれない。悲しいけれど、
それが現実なんだ。でも僕たちは夢見る自由はなくしてなんかいない。」
私はその後泣き出してしまい、疲れて眠り込んでしまった。いなくならないようにと
硬く握っていた手は走り書きのメモに変わっていて、息子は一緒にいなくなっていた。
私は、おなかの子供を意識しながら、手紙を読まずに燃やしてここを後にしたのだ。
影が少し長くなった池のほとりに帰ってきて、子供の楽しそうな話し声に耳を傾ける。
なんでもないことを深刻に話し合う声も、冗談で他愛もなく笑いあう声も今日は心地いい。
目を閉じ、耳を澄ませば、それがどれだけ得がたい情景なのかよくわかる気がした。
*
背後に立ち止まる気配がしてふと振り返る。そこには水色の見慣れたアオザイ姿の娘が
いる。
「おかえり、ベトナ。」
呼ばれて硬直しているベトナ…あの態度はきっと私に知られたくない何かを隠している
のだろう。
そう、たしか学級便りによれば今日あたりに通信簿が渡されているはずだった。
さて、カマでもかけてみようか。
「さ、通信簿見せて。」
「え…」
「見せて。」
「マ、ママン…あの…おうち帰ってから…」
図星だったらしい。本当にこの子はわかりやすい。
「わかり切ってることなんだから、どこで見ても一緒でしょ?」
「そうだけど……」
渋々差し出される通信簿。この子はトロイからきっと『たいへんよい』なんて3つも
あればいい方だろう。そう思って眺めてみれば、山のような『よい』と、申し訳程度の
『たいへんよい』。
俎板の上の鯉よろしく、ベトナは観念した顔で目線を逸らせている。このわかり易さが
たまらなく可愛いけど、無論表に出す訳はない。
「いい成績ね…」
「ご、ごめんなさい……」
いつものように怒鳴ってもいいのだけど、どうせ毎日叱り飛ばすのだから、今日くらいは
勘弁することにした。ぽんと頭に手を置いて、何も言わずにまた歩き出す。後ろで盛大な
溜息をついて、ベトナは金魚の糞みたいに後に続いた。溜息が聞こえなかったとでも思って
いるのだろうか?
陽が傾き風が出てくる。ゆっくり撫でるような風だ。
気持ちが違えば見える景色は随分変わるものだなあと思う。あの頃広漠とした思いに
囚われて見ていた夕焼けは、今では当たり前の日常になってしまった。
街灯に火が入り、黄昏に蝙蝠が舞う。暑さが薄らぎ闘争心もまたぞろ沸いてきた。
さあて、休みはベトナをどうやって鍛えてやろうか。考えるだけで楽しくなってくる。
……夏は、まだ始まったばかりだ。
おしまい
解説
有閑工房 ◆WOaKOSQONw
投稿日: 04/07/15 21:19 ID:cso81Rz4
解説・真夏・塞翁が馬
※ 初投稿がベトナママンだったので、最後もこれで。ベトナムの南北分裂の情景をば。
同じくベトナママンによるモノローグでございます。
ママンたちがいちゃついてたのは『ベトナム北部』としか縛っておりません。倉庫は
ディエン・ビエン・フーと考えてます。
今回はソースつけません。あしからず。
※ 言わなくても判っていると思いますが、スレの分離にも掛けたお話しです。今はこう
でも先の話は未確定。先のことは誰にもわからず、どう転ぶかなんて誰もわからない。
つまりまあ、そういう事ですわなw
後記
これで本スレ引退なワケですが、いつかまた一緒になってやれればと思います。
できるできない、どちらも可能性は残っていますから。
はあ、最後の最後で盛大に誤爆しちゃったよ…_| ̄|○
では皆さん、また会う日まで…
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( -_-) がんばりましょう
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