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第2211話 どぜう ◆3F8jIdnlW2 投稿日: 2005/04/10(日) 15:58:58 ID:jxGd4N2Y
Elegy of the left man〜取り残された男
1.
その喫茶店は駅前からほど近い、ポプラ並木の通りの片隅、
骨董屋の角を左に折れた路地の真ん中辺りに、いつもと同じ顔で立っていました。
訪れる人影は多くはなく、昔は流行っていたのでしょうか、
少々古くさい外装をしていて、チョコレート色のドアには、
「営業中」と書かれた木札がドアノブに吊るされ、
真鍮のアルファベットで、「Peaces」と店名が書かれているのでした。

その喫茶店の前を、携帯で時刻を確認しながら、うろうろ、うろうろ待ち合わせる女の子一人。
その姿を見つけた、喫茶店のマスターは、ドアを開けるとこう云ったのでした。

「やあさくらちゃん、久しぶり」

「何を飲む?カフェオレかい?それともオレンジジュースがいいかな?」
カウンターの中に入ったマスター――サヨックおじさんは、
久しぶりに見た姪っ子の顔を嬉しそうに見やりながら、
戸棚からあれこれとカップを物色し始めました。
「お金はいらないよ。小学生からお金はもらえないから。好きなのを頼むといいよ」
「あ、じゃ…カフェオレで」とバツの悪そうな顔で、
注文を云うニホンちゃん。
「了解、カフェオレだね」とサヨックおじさんは聞き返すと、
お湯を沸かし、支度をいそいそと始めました。

薄暗い店内には、ニホンちゃんが独り、座っているだけ。
他に店内にいるのは、インディアン人形と、古い映画のポスター、
ピンで止められた、古い写真、アコースティックギター、そして沢山のレコードジャケット。

そのレコードの山の中から、サヨックおじさんは一枚選ぶと、
年代物のプレイヤーに掛け、針を落しました。ぽつ、ぽつ、と雨音のようなノイズに混じって、
聞こえてきた弦楽の音色は、ニホンちゃんもこの間音楽の授業で聴いた、
スメタナのモルダウが、スピーカーから流れ始めました。
2.
「学校の成績はどうだい?」
「友達とは仲良くしなけりゃいけないよ」
などと、口を開くのは、いつもサヨックおじさんで、
ニホンちゃんは、うん、とか、はい。とか、
困ったように生返事をするばかり。
けれども久しぶりに姪っ子と話ができる嬉しさからか、
サヨックおじさんの顔は、緩みっぱなしでした。

ケトルが蒸気で笛を鳴らします。
ああ、とサヨックおじさんがカウンターから、奥の厨房に引っ込みました。
窮屈な会話から、開放されたニホンちゃんは、
「ふう…」とため息をつくと、改めて店内を見回しました。
どれもこれも、みんな流行遅れのアナクロな物ばかり。
ニホンちゃんには、何を見てもちんぷんかんぷんな様子だったのですが――

「?」
そんな店内のインテリアの中に、一際古びたものが行儀良く座っていました。
それは銀色に、赤い線が入った、
古い、勇ましげな格好をした木の模型の飛行機でした。
あんまりにもこの喫茶店にそぐわないその飛行機を、
いぶかしげにニホンちゃんが手に取ったその時。

「それに触っちゃいけない!!」
そんな大声が店内を揺らしたのです。
3.
――その日はとても風が強い日で。
もう目の前にやってきた冬の気配に僕は体を竦めながら、
母さんのお使いに、夕方に町へ出かけたんだ。

秋の陽は、つるべ落とし。って云うだろう?
町はもうすっかり薄暗くなっていて。あれは…何を買いに行ったんだっけなあ?
とにかく、僕は店が閉まってないか、不安でしかたなくって、
走って出掛けたんだよ。

松島のお堀端だった。街灯も、その頃は少なくってね。
独りでお堀端に立つ人を見つけたんだよ。背の高い人でね。
なにか、考えごとをしながら。指先で紙切れを千切ってた。
風に吹かれて、その紙切れが僕の足元に吹かれてきて。

その時、気がついたんだ。その人が千切ってたのは、一円札。
さくらちゃんは、知らないだろうけどね。昔使ってたんだ。

僕の両親も。いや多分、その頃のこの家の人は、
みんなお金がなくて貧乏だったから。
僕は、思わず叫んじゃったんだな。「お札を破るのはよくない」って。

その人は、驚いたみたいに僕の方を向くと、疲れたみたいに笑ったんだ。

二十歳の人だった。ミヤガワさん、って云ったっけな。
「もういらないんだ」って云われて。
僕はようやく。なんでその人がお札を破ってたのか、判ったんだよ。

人の命が、枯れ葉みたいに軽んじられた頃の話さ。
その人に、別れ際に、この飛行機の模型、
「彗星」って名前の飛行機の模型を貰ったんだ。
…それから大人になるにつれて、強く思うようになった。
あんな、疲れたように笑ってしまう人を、
もう一人だって作っちゃいけないって。僕の考えは、間違ってるのかな?

4.
――レコードは、いつの間にか終わっていました。
二人の掌の中のカフェオレは、すっかり冷めてしまっていました。
沈黙に飽きて、サヨックおじさんが窓の外を見やります。窓の向こう側には、生意気なチビ助の姿。
ウヨ君が、不安そうにこちらを眺めているのが見えました。
「ほら、さくらちゃん」
「…え?」
「待ち人あらわる、だ」
「…あ。じゃ。…えぇと」
「行きなよ。子供からはお金は取れない」
ひらひらと手をかざして、サヨックおじさんがそう云いました。
「ありがとう、ございます」と、ぎこちなくそうお礼を云うと、
ニホンちゃんは、隣の椅子に置いてあったランドセルを背負い、
ドアベルを鳴らして店を出て行きました。

店の外で、しばらく二人は会話をしていましたが、やがて、ニホンちゃんは先に歩き出していきました。
一人、窓越しにウヨ君がサヨックおじさんを見据えてきます。

――随分、男の目をするようになったじゃないか――
そう、甥っ子の成長を見ながらサヨックおじさんも、
身体の中に熾火のように残ったありったけの気概をかき集めて、ウヨ君を見据え返しました。
――所詮、僕らは相容れない――

ふ、と力を抜くとニホンちゃんにしたように、
またひらひらと、ネコを追い払うように手をかざしました。

そして、サヨックおじさんは店内に独り、残されました。
5.
丁寧に、その模型飛行機を元あった場所に戻すと、
サヨックおじさんは、苦笑いをしながら、
ニホンちゃんが座っていた席にもう一度、尋ねました。
「僕の事を、時代遅れだと、思うかい?」
空になった席は、当然返事をしてくれはしません。
けれども気にせずサヨックおじさんは続けます。
「昔は、このお店にも、僕と同じような考え方の人間が溢れてた。
一人、また一人と。いなくなってったよ。
スーツを着て、訳知り顔で。世の中の仕組みを分かったふりをして…
別に、寂しいとは思わない。厳しいことも、辛いことも云ったし、喧嘩もした」
そして立ち上がり、レコードをプレイヤーから取り出すと、
ぽつりと、自分自身に言い聞かせるようにサヨックおじさんは呟きました。
「だから僕は、この店に立つのさ。あの頃の僕らが間違ってなかったことを。
僕ぐらいは、証明してやらなきゃ――」

その言葉を遮るように、ドアベルが鳴りました。
「いらっしゃ…なんだ。小夜か」
「あー、疲れた…」
「新聞は売れたかい?」
「ん、まあね。…お客さん、来てたんだ。珍し」
「…厳しいことを云うねえ、キミは」
最近目端ばかりが効くようになってきた一人娘が、
厨房の中を通って、自宅へ戻っていく後ろ姿を見届けると、
お気に入りのレコードを丁寧にとり出すと、またプレイヤーにかけるのです。

〜When I find myself in times of trouble
Mother Mary comes to me speaking words of wisdom , Let it be〜
6.
――そして一方、夕暮れの道を歩く二人。
話す話題は、今夜のご飯とテレビと、それから学校であった出来事と。

不意に先を歩くニホンちゃんが立ち止まり。
あ、と云って空の一角を指さしました。
「彗星だ!」
後ろから歩いてきたウヨ君が、呆れたように答えます。
「姉さん。あれは飛行機雲だよ」
「うん…」と小さく頷くと、くすりと笑ってニホンちゃん、
また、家に向かって歩き出すのでした。
【了】

解説 どぜう ◆3F8jIdnlW2 投稿日: 2005/04/10(日) 16:09:45 ID:jxGd4N2Y
改行が多すぎますとか云われて、その場でちまちま修正してるうちに、
3章と4章の章分けを間違えました。
脳内で4章の冒頭3行を、3章目に組み入れて戴けると幸い。

えー。サヨックおじさんを、少し(か?)カコイク書いてみました。
タイトルの、『Elegy of the left man』は、
『左の男の哀歌』と訳せますが、leftはleaveの過去分詞でもあるので、
『取り残された男の哀歌』とも読めます。

ソース、元ネタはこちら。
ttp://373news.com/2000picup/2005/03/picup_20050323_8.htm
『模型飛行機残し出撃 川内出身?兵士の肉親探す』です。
ttp://www.senbotsusya.com/
こちらは肉親捜しをしているNPO法人「戦没者を慰霊し平和を守る会」のサイトです。
思想的バックボーンが今一つ判りませんが、サイト内の主張から、左と判断しました。

とりあえず、憎まれ役の活躍に我慢ならない方もいらっしゃるでしょうが、
お手柔らかにお願いいたします(苦笑)。
しまった…3章目8段落目、松島を松島に…_| ̄|○
ハズカチィ…

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