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第101話 三毛 ◆wPntKTsQ 投稿日: 2003/08/21(木) 01:56 ID:Kgjmc1Lk

                       彼女の涙は、見たくなかった。
                    三毛 Presents  「ニホンちゃん」外伝

     「Still,I Love You」
         第六話 愛と哀しみの果てに

 〜Side Laska〜
「ふんふん、ふ〜ん……っと」
 私は、上機嫌で鏡を覗き込んでいた。自慢の金髪に、丁寧にブラシをかける。
「るるる〜……ららら……」
 浮き立つ気持ちを抑えることが出来ず、鼻歌を漏らしてしまう。でも……それも仕方ないかも。
 だって、今日は………ウヨ君とデート、なんだもの。

 夏休みにはいっても、私たちの関係は、一向に進展しなかった。
 ウヨ君が、部活だのバイトだので、ちっとも捕まらなかったからだ。
 由紀子ちゃんも同様らしく、先日、たまたま会ったときに、しきりにぼやいていた。……だからといって、安
穏とはしていられない。夏休みももう後半……というより、残り少なくなっている。
 新学期が始まってしまうと、彼のそばには、由紀子ちゃんがまとわりついて、何かと妨害してくるだろう。
――――――私も同様に邪魔してるんだから、お互い様なんだけど。
 とにかく、邪魔の入らない夏休みの間に、なんとかして彼との距離を縮めておきたかった。

 その、恰好のきっかけをくれたのは、コルシカちゃんだった。
 三毛猫亭でバッタリ会った彼女から、あるものを差し出されたのだ。
 …………遊園地のペアチケット。
「知り合いがくれたんだけどさ、期限が今週中までなんだ。で、生憎と、あたいも姉貴も、どーしても都合が
つかなくてさ。捨てるのも勿体ないし。どうだ、誰か適当な奴誘って行ってこいよ」
 私にチケットを押しつけながら、コルシカちゃんはそう言って笑った。
「でも………いいの?」
「いいっていいって。もともとタダで貰ったチケットなんだし。どうせなら、ちゃんと使ってくれる人間が持ってい
た方がいいだろ?」
「うん……わかった。どうもありがとう、コルシカちゃん。………ね、お礼にパフェおごらせて?」
「お、いいの?ラッキー♪」
 嬉々として、チョコパフェを注文する彼女の隣で、私は決心していた。
 ウヨ君を、彼を誘ってみよう、と………。

     つづき

 その夜。私は、早速彼の家に電話してみた。
『はい、日ノ本です』
 運良く、ウヨ君が電話口に出てくれた。ほんの数日会っていないだけなのに、ひどく懐かしく思える声。
「あの……夜分恐れ入ります。………ラスカ、です」
『ああ、ラスカちゃんか。どうしたの?姉さんに用事?』
「ううん………ウヨ君に、話があるの」
『オレに………?何かあったの?』
 受話器を握る手が、じっとりと汗ばんでくる。口の中が、カラカラに乾いて、舌がこわばる。が、頑張って誘
わなくちゃ。
「え、えっとね………。ウヨ君、今週、空いてる日ある?」
『今週?ええっと…………ちょっと待って』
 手帳を開いているのだろうか。かさかさという紙の音が聞こえた。……空いてる日が、ありますように…。
 私の祈りは、どうやら天に通じたようだった。
『明後日、金曜なら丸一日空いてるけど』
 ……………ああ、神様!
「……………………………………」
『……ラスカちゃん?もしもし?』
 喜びに浸って、沈黙している私を不審に思ったのだろう。いぶかしげな彼の声が、私を現実に引き戻した。
「あ、ご、ごめんね。ちょっとボーッとしてて……。えと、金曜日は、空いてるのね?」
『ああ。………それが、どうかした?』
 さあ、これからよ、ラスカ!

     つづき

 心臓が、胸の奥で暴れ回って、痛みすら覚える。私は、それを鎮めるように、そっと胸に手を置いた。
「あ、あのね。友達から、遊園地のペアチケット貰ったの。それで……それで、もしよかったら……私と一緒
に行かない?」
 い………言えたぁ。彼に聞こえないように、受話器を離して、大きく息をつく。
『お、オレと………か?アメリーさんや姉さん誘ったほうがいいんじゃない?オレと行ったってつまらないぞ』
 受話器越しにも、ウヨ君の声が揺れたのが分かった。
「兄さんは、どうしても都合がつかなくって。………それに、いつもおごって貰ってるお礼もしたいし」
 ……実は、兄さんと行くという選択肢そのものを、最初から考えてないだけなんだけど。ゴメンね、兄さん。
『う〜ん………………』
 迷ったようなうなり声。断られたらどうしよう、と、ろくでもない考えが頭をもたげてくる。
「ダメ……………かな?」
『………いいよ、行こう』
 ………それは、まさに私にとっては福音そのものだった。呼吸が、一気に浅くなり、胸の奥が締め付けら
れるような、甘い喜びがわき上がってくる。
「ホント!?ありがとう……!」
 受話器を持ったまま、踊り出してしまいそうなほど、私はうかれていた。何というか、視界が限りなく、広く
明るくなったかのような錯覚すら覚える。
「それじゃ、金曜日に」
『ああ……楽しみにしてるよ』
 待ち合わせの時間と場所を決めて、私たちは話を締めくくろうとした。と、そのとき。
『なあ、ラスカちゃん』
「なぁに?」
『誘ってくれて……どうもありがとう。…………おやすみ』
 ………その一言が、私をどれだけ勇気づけてくれたことだろう。
 そう。このとき、私は決心したのだ。

                         彼に、告白しよう、と。

     つづき

 とっておきの白いサマードレス。長い髪の先を束ねる白いリボンは、六年前のクリスマスに、ウヨ君がプレ
ゼントしてくれた、私の大切なたからもの。
 姿見の前に立った私は、自分の出で立ちを注意深くチェックする。
 すこし子供っぽいかな………と思わなくもないけど………大人っぽい、シックな服装は、悔しいけどまだ私
には似合わない。
「うん、可愛い…………よね?」
 その場でくるりと、モデルさんのように身を翻す。ふわりとドレスのすそが、花開くように舞い上がる。
 よし!準備オッケー!
 鏡台に置いたポシェットを取ろうとした私は……その横に転がる、あるものに視線をとめた。
 ――――淡いピンクのリップクリーム。高校に入学したときに、ママが、「たまにはお洒落してみなさい」と
言って買ってくれたものだ。なんとなく気恥ずかしくって、いままで使う機会はなかったけど…………。
 ほんの少しだけ逡巡したあと、私は、そのリップクリームに手を伸ばした………。

 午前九時四十分。待ち合わせの時間は十時ちょうど。いまから家を出ると、待ち合わせ場所の地球町中
央公園に、時間ぴったりに着くことができる。
 外に飛び出した私を、まばゆい陽光が照らし出す。…うん、いいお天気。私は、そっと唇に指先をあてた。
 お日様を受けて、桜色に光っているであろう唇。生まれて初めてのリップ。彼、気づいてくれるかな……。

 ううん。気づいてくれなかったとしてもいい。これは、私自身の決意のあかしなんだから。
 彼のために、少しでも綺麗になりたい。生まれて初めて、私はそう思った。そして、その思いを実行した。
 この唇は、記念すべきあかし。自己満足かもしれないけど、私は、確かに一歩踏み出したのだ。

  ………さあ、デート!待っててね、ウヨ君!

     つづき

  〜Side Uyo〜
 午前九時五十五分。オレは、公園の真ん中にそびえる、時計塔の前に立っていた。
 ラスカちゃんとの待ち合わせの時間まで、あと五分。彼女は、まだ来ていない。缶コーヒーを飲みながら、
オレは、着慣れないサマージャケットの襟を直す。
 このジャケットは、母さんに「いいからこれ来て行きなさい!」と押しつけられたものだ。いつも通りのTシャ
ツとジーンズで出かけようと思っていたのに、ラスカちゃんと遊びに行くと知った母さんが、大騒ぎしたのだ。

 ―――なんであんなに、母さんは燃えていたのだろう。「いい?彼女に嫌われるようなこと言っちゃダメよ」
とか、「優しくエスコートしてあげるのよ!」とか………まるでオレたちがデートでもするみたいじゃないか。
 おまけに、父さんまで加わって、「小遣い足りるか?女の子に恥かかせるんじゃないぞ」などと言いつつ、
オレに小遣い渡そうとするし……。バイト代が入ったばかりだったので、なんとか辞退したが。
 姉さんが出かけていてくれたのは、幸運だったかも。もしあの場にいたら、母さん以上に大騒ぎしただろう
から。とはいえ………帰ってから、散々様子を訊かれることだろうな。それこそ、小一時間どころか、下手す
ると一晩中。
 その様子が、ひどくリアルに想像できて、げんなりしてしまう。挙動不審に頭を抱えていると…背後から、
「とてとてとて」と軽く響く、特徴ある足音が聞こえてきた。振り返らずとも分かる。ラスカちゃんだ。
「ごめんなさい、待った?」
 ………なんとも、お約束な台詞を投げかけてくる。まるで漫画のデートシーンだ。
 苦笑しつつ、オレは振り返った。お約束にはお約束で応じるのが礼儀というものだ。陳腐な台詞を返す。
「いや、今来たところだよ。それに………」
 その瞬間、頭上の時計塔から、軽快なメロディが流れ出した。時計の文字盤が開いて、中から現れた人
形が、くるくると踊りだす。十時だ。
「………時間ぴったりだ」
「…あは」
 にっこりと、こぼれんばかりの笑顔。わずかに上気した頬。サマードレスに、その笑顔がよく映えている。
「ね………どうかな?この服」
 オレの視線を察したのだろうか。ラスカちゃんは、そう言って、その場でくるりと一回転して見せた。
「ああ、よく似合ってる。…可愛いと思うよ」
「ホント!?……よかったぁぁ………………」
 感想を正直に述べると、ラスカちゃんは心底嬉しそうに、両頬に手をあてて軽くうつむいてみせた。そのし
ぐさが、たいそう愛らしい。

     つづき

「………………?」
 真っ赤になって、照れているラスカちゃん。その姿に、オレは、軽い違和感を感じた。どこがどう、とはハッ
キリ言えないが、何となく、いつもの彼女とは違うものを感じ取ったのだ。
「………?どうしたの?」
「あ、いや………別に」
 ……なんだろう?なんとなく、いつもより彼女が大人っぽくなっているような気がする……。
 歯切れの悪い答えに、ほんのちょっとだけ首をかしげることで答えた彼女は……不意に、オレの腕を掴ん
だ。軽やかに身体を翻して、走り出す。
「さ、行こ!早くしないと、並ばなきゃならなくなっちゃう!」
 引っ張られるままに、オレは駆けだした。無邪気な笑顔を浮かべて、息を弾ませるラスカちゃん。目の前
で、リボンで結わえられた長い髪が、ひょこひょこと揺れていた。
 ―――気のせい、か?
 先刻まで感じてた違和感に、答えを出すこともなく、オレたちは公園を駆け抜けていった。

 遊園地。ここに来るのは、あの日以来だ。
 ………ユキと再会した日。思えば、あれ以来、気の休まるときがなかったなぁ…………。
「………ねぇ、ウヨ君。…………ウヨ君ってばぁ!」
「え!?」
 感慨に浸っていたオレは、ラスカちゃんの声で我に返った。彼女は、小首をかしげて、不思議そうにオレを
見上げている。
「どーしたの?なんだか、ぼぉっとしてたけど………」
「ああ、悪い。………ちょっと、前にここに来たときのこと、思い出しててさ」
「……前に来たとき?」
「ああ。ユキと、ここで再会したんだよなぁ、ってさ………」
「……………………………………」

     つづき

  〜Side Laska〜
 …………いきなり、由紀子ちゃんの名前が出てくるとは思わなかった。
 そりゃあ、彼にとってはインパクトのある出来事だろうから、思い出すのは当然だと思うけど………今、隣
にいるのは私なのに。何も、わざわざ彼女の名前を出さなくてもいいじゃないの………。
 彼の鈍感さに、一瞬腹が立ったが………こんなところでへそを曲げてても仕方がない。
 この場にいない女の子より、私のほうを強く印象づけなくちゃ。
「さ、早く行こ!」
 再び、彼の腕をとって歩き出す。麻のサマージャケットの感触と、彼自身のぬくもりが、手のひらに伝わっ
てくる。そう。このぬくもりを………この想いを、手放さないためにも。
「…絶対に負けない」
 私は、口の中だけで、そっと呟いた。

 夏休みとはいえ、さすがに平日だけあって、遊園地の中はさほど混みあってはいなかった。
 家族連れよりも、カップルで来ている人たちの方が目に付く。
 ――――私たちも、端からは、同じように見えるのかな………?
 現金なもので、そう考えると、ついさっきのざらついた感情が、浮き立つようなそれに取って代わる。私も、
結構単純な性格なのかもしれない。
「ねね、ウヨ君」
「ん?」
 私たち、他の人からはどんなふうに見えるのかな…………。
 そう言おうとして………私は思いとどまった。彼のことだから、「兄妹」とか、「ただの友達」と答えるに決
まってる。それも、何の迷いもなく。
 そういう人だ、と、分かってはいても、ハッキリとそんな台詞を聞かされるのは……やっぱり怖かった。
「どうした?」
「あ……えっと………まず、何に乗ろうか?」
「そう…だな。まずはお約束で、ジェットコースターにするか?」
「うん」

     つづき
  〜Side Uyo〜
 かたんかたんかたん……と、乾いた音と共に、レールの上を登ってゆく。視界は、一面の青空。

 オレたちは、ジェットコースター、その最前列に座っていた。
「なんか………どきどきするね」
「ああ………実は、この瞬間が一番怖いかもしれんな。ジェットコースターって」
 軽口も、いささか硬い。
 やがて、車両が、レールの頂点に達した。来る、と思うまもなく、凄まじい轟音と共に、一気に駆け下りる。
自分の体重が失われ、胃袋が喉元までせり上がってくるかのような、異様な感覚。背後のあちこちから、甲
高い悲鳴が沸き上がる。
「きゃーっ!!」
 ラスカちゃんも、負けじと盛大に悲鳴を上げる。オレは、奥歯が軋むくらいに歯を食いしばり、呻き声を耐え
ていた。
 ほとんど瞬時に、一番下まで到達する。急激に体重が戻ってきて、座席に押さえつけられる。間髪入れず
にカーブ。上昇。また下降。ループ。そのたびに身体が振り回され、視界が二転三転する。
「きゃーっ!きゃーっ!!」
 不意に、右腕が、何か柔らかく暖かいものに包み込まれた。驚いて、遠心力に逆らいつつ無理矢理顔を
向ける。 

 ――――――ラスカちゃんが、オレの右腕を、自らの胸に抱え込んでいた。

「お、おい!?ちょっと………」
「きゃあぁぁぁぁぁーっ!!」
 オレのうろたえ声は、耳を聾する轟音と、彼女の悲鳴に儚くかき消されるのだった…………。

     つづき

 ごとんごとんごとん………。
 車両がゆっくりと乗り場に滑り込んでゆく。そこかしこから、ため息や笑い声が聞こえてくる。
 緊張と恐怖から解放された、妙に明るい喧噪の中で、オレは、マネキンのように硬直していた。こめかみ
から、脂汗が一滴流れ落ちる。

 …………ラスカちゃんは、相変わらずオレの腕にしがみついていた。

「あ〜、怖かった〜。………でも、面白かった〜!」
 気づいているのかいないのか、やたら天真爛漫に笑顔を見せるラスカちゃん。オレの表情に気づいて、可
愛らしく小首をかしげてみせた。
「どうしたの、ウヨ君?なんか表情が硬いけど………。ひょっとして、ジェットコースター苦手だったの?」
「い、いや………そーいうわけじゃないんだが……その……腕、離してくんない?」
「え……?あ、ああっ!」
 大慌てで俺の腕から離れるラスカちゃん。顔が真っ赤だ。………ま、オレも人のこと言えないだろうが。
「ご、ごめんね。夢中になってて思わず………」
「い、いや、いいんだ………」
 さて、どうフォローしたらいいものやら。………というか、ここで熟れきったトマトみたいな顔並べていても仕
方がない。
 順番待ちをしている人たちが、「早く降りろ」と言いたげな視線を投げかけてくる。
「と、とにかく、降りよう」
 オレたちは、逃げるように乗り場を後にした。

     つづき

  〜side Laska〜
 私の前を、ウヨ君が足早に歩いてゆく。小走りで追いかけながら、私は、沸き上がる不安に耐えていた。
 やっぱり、恥ずかしいよね…………。
 いくら無意識とはいえ、いきなり腕にしがみつかれたりしたら、動揺するのはあたりまえ。しかも、順番待ち
の人たちに、冷やかすような視線を浴びせられたのだ。こういうことに慣れていなさそうなウヨ君のことだから
………ひょっとしたら、怒っているのかも。
「あ、あの…………ホントに、ゴメンね……」
 おずおずと声をかける。同時に、彼が立ち止まった。天を仰いで、一つためいき。………怒鳴られるよりも
怖い沈黙が、数瞬だけ続く。私は、半ば覚悟を決めた。
 しかし………ゆっくりと振り返った彼の顔には、予想に反して、暖かい微笑みがたたえられていた。
「もういいってば、ちょっと驚いただけだから、さ。…………さて、姫様。次はどこに参りましょうか?」
 ちょっと気取った声と仕草。彼なりの照れ隠し。その一言が、私を心底安堵させてくれる。
「うーんと………それじゃあ…………」

 のんびりした、牧歌的な音楽が流れる。目の前の景色が、くるくると変わる。
 私たちは、おおきなコーヒーカップの中に、向かい合って座っていた。………ホントは、絶叫系のアトラク
ションをはしごしたかったんだけど。また、さっきみたいなことになったら、気まずいどころの騒ぎじゃない。
 そういうわけで、私は、無難なコーヒーカップをリクエストしたのだった。スリルはないけど、これはこれで、
いかにも「デート」って感じがしていいものだよね。
 ………あれ?私は、ふと気づいた。目の前でくるくる回っているターンテーブル。カップを回すあれだ。それ
が、手を触れられることもなく虚しく回転している。
「………ね、ウヨ君。これ、回さないの?」
「ん?……………ああ、いや、いいんだ」
「どうして?」
 私は小首を傾げた。周りでは、同様に乗り込んでいる人たちが、さかんにテーブルを回している。中には、
目が回りそうなくらいの勢いで踊っているカップもあったりする。これ回すのが楽しいのに……。

     つづき

 私の疑問は、一番聞きたくない名前と共に解消することになった。
「いや………前にユキと乗ったときにさ、調子に乗って回しすぎちゃって。ユキのやつ、酔っちゃったんだよ」
「………………………………」
 また、由紀子ちゃん。考えてみれば、前回、彼は一日中由紀子ちゃんと一緒にいたんだ。…ということは、
私は、行く先々で彼女の影に怯えなくちゃならないの?
 突然、無性に腹が立ってきた。彼にまとわりつく、由紀子ちゃんの気配に。彼女の名前を無神経に口にす
るウヨ君に。そして………そして、それに怯える私自身に。
「………………えいっ!」
 私は、ターンテーブルにしがみつくと、力一杯それを回した。カップ本体が、それに応じて回転を早める。
「お、おい………何を!?」
 ウヨ君が、驚いた声を上げる。

 ふん、だ。

 由紀子ちゃんの名前を出して、私を苦しめる罰だもん。ウヨ君なんか、由紀子ちゃんの代わりに酔っちゃえ。
 さらに回す。回す。ひたすら回す。
「おいっ!やめろっての!おーいっ!!」
 ウヨ君が、なにやら叫んでいる。聞く耳持たず、むしろそれに励まされるように、私はさらに腕に力を込める。
「おーい、ラスカちゃん!なに考えてんだよ!?ちょっと待てよー!」
 ぐるぐると回り続けるカップ。その中で、むっつりとテーブルを回す私と、悲鳴を上げるウヨ君は、シェーカー
の中身さながらに振り回されるのだった。

     つづき

「うぷっ………………」
「……大丈夫?……はい、水」
「………あ、ありがとう…………うっぷ………」

 …………………酔っちゃった。
 ………………………………私が。

 ウヨ君を困らせちゃおうと思ったのに、自分が酔うなんて………まさに、ミイラ取りがミイラになっちゃった。
 と、いうわけで、私はいま、木陰のベンチにしどけなくもたれかかっている。
 うう、目が回るよぅ…………。
 ちびちびと水を舐める私を見下ろしながら、ウヨ君が、呆れたといいたげな声を漏らす。
「まったく……酔うまで回すか?普通」
「う〜………だってぇ……」
「だって……何?」
 だって、あなたが由紀子ちゃんの名前出すからだもん。
 ………その答えは、声になる前に虚空に消えていった。ここで彼女の名前出したら、何故そんなに彼女を
意識するのか言わなければならなくなる。つまり………告白するも同然。
 告白しよう、と決心してはいるけど、こんな間抜けな形で告白なんかしたくはなかった。
「だって、あれ回したことなかったんだもん……私」
「…………だからって………限度ってもんがあるだろ………」
「……………う〜…………」
 なんとか誤魔化すことはできたみたいだけど………そのかわり、彼に「おバカな子」と思われちゃったかも
しれない。ああ…………大失態だわ………。

     つづき

  〜Side Uyo〜
 なんだかなぁ。
 オレは、ラスカちゃんを介抱しながら、そこはかとなく頭痛を感じていた。
 ちと、はしゃぎすぎじゃないか………?
 まあ、遊園地ってのは人をそうさせる空間ではあるが。

「気分、良くなった?」
「うん……」
 紙コップを手の中でくるくる回しながら、ラスカちゃんが頷く。顔色も、普段と変わりなくなっていた。
「よし………じゃ、行こう」

 とはいえ、あまり過激なアトラクションに乗せるのもどうかな。
 というわけで、オレは、彼女を連れて、遊園地のはずれに来ていた。この遊園地は、ちょっと変わってい
て、植物園が併設されている。ここを散策して、落ち着いてから、またアトラクションで遊ぼう。
 大温室で、色鮮やかな花を眺め、ハーブ園で香りを堪能する。休憩所でハーブティなんぞを飲んでから、
陽光降り注ぐヒマワリ畑に足を運ぶ。
「うっわぁぁ………すごーい!」
 数十万本に及ぶヒマワリ畑を見て、ラスカちゃんが歓声をあげる。背の高いヒマワリが、こちらに鮮やかな
黄色の花を向けていた。
「これだけあると壮観だね〜」
 ラスカちゃんが、オレを振り向いて笑顔を向ける。その光景に、オレは、声もなく見とれるだけだった。
 黄色と緑のヒマワリ。純白のサマードレスに身を包んだ女の子。空は抜けるように蒼く、巨大な入道雲が
のんびりと浮かぶ。まさに、一幅の絵だった。カメラを持ってこなかったことを後悔させるほどの。
 ラスカちゃんは、雪景色の中が一番似合うと思っていた。なかなかどうして、夏の光景も似合うものじゃな
いか…………。

     つづき

 さて、遊園地に戻ってきたオレたちは、つぎつぎとアトラクションをはしごした。フリーフォールに背筋を凍ら
せ、スターツアーというCGを駆使したアトラクションに驚き、ミラーハウスでひとしきり迷ってみる。
 ふと気づくと、もう午後一時をまわっている。そろそろ腹が減ってきたな………。
「ラスカちゃん、ここらでメシにしないか?美味いハンバーガーの店があるんだ。おごるよ」
「え、いいの?」
「もちろん。こないだ、ユキと行った店でね。フィレオフィッシュが絶品らしい。オレは食ってないから分からな
いけど」
「……………………………。そう……………。」

 ……………なんだか、気まずいな。
 楽しかるべき昼食の場は、何故か、妙に重苦しい雰囲気に包まれていた。
 ハンバーガーをぱくつくオレの対面には、沈黙の砦に立てこもって、ポテトをつまむラスカちゃん。見るから
に機嫌が悪そうだ。
 …………オレ、何かしたか………?
 なんとか場を盛り上げようと、何かと話を振ってみるが、気の無さそうな生返事が返ってくるだけ。空回りだ。
 やがて―――オレは、話のネタも尽き果てた。かくして、二人は、食べることだけにその口を動かすことに
なったのだった………。

 なんとも味気ない食事は終わった。………というか、味なんてほとんど分からなかったぞ。
 ゴミを片づけていると、つんつん、と、ジャケットの裾を引っ張られた。
「……どした?」
「ちょっと、席外すね」
 ……あー、トイレか。もちろん、バカ正直にそれを口にはしない。それくらいの気配りはオレだってできる。
「ああ。それじゃ………あそこの売店にいるから」
 売店を指さしてみせると、こっくりと頷いて、ラスカちゃんは駆け去っていった。

     つづき

 それなりに混みあった売店を、ぶらぶらと歩く。遊園地のイメージキャラクターのグッズといった、ありふれ
た土産物が所狭しと並んでいるが、生憎とオレの興味を惹くものはない。
 ぬいぐるみだのステーショナリーを見たところで、野郎向けの品物とも思えないしな…。まあ、ラスカちゃん
なら、目を輝かせて「可愛い」を連発するだろうが。

 …………そうだな。なにか、買ってあげようか。

 機嫌がいきなり悪くなったのは、多分オレのせいだろうし。その原因が皆目見当がつかないのが困りもの
だが。
 物で釣るようで、ちょっと抵抗あるが、口先三寸で彼女の機嫌を取るなんて芸当は、できそうにもないし。
 思い定めると、オレは、ちょっとだけ真剣に、陳列された品物を吟味し始めた。

 ………そして、あっというまにわけが分からなくなった。
 さて、どれを買ったらいいものやら。 大は一抱えもありそうなぬいぐるみから、小はキャラクターのプリント
されたキーホルダーまで。どれもこれも、女の子が喜びそうなものばかりに思えてくる。何を贈っても、それ
なりに喜んでもらえそうだが、それだけに決め手に欠ける。
 いっそのこと、石でも投げて当たったものを買おうか。そんなバカなことを考えたとき……それが、目に入っ
てきた。
 手のひらに載るような、ちいさなちいさな仔猫のぬいぐるみ。こういうものに、興味がないオレでも、つい微
笑みを漏らしたくなるような、可愛らしい代物だった。
 そういえば、ラスカちゃんこういうものが大好きだったな………。
 ふと、彼女がこれを抱えて笑顔をこぼす姿が頭に浮かぶ。………うん、悪くない。
 オレは、そのぬいぐるみを手に取った。
「すいません、これください」

     つづき

  〜Side Laska〜
 洗面所の鏡に向き合いながら、私は、襲い来る自己嫌悪と闘っていた。
 なにやってるのよ、私…………。
 子供みたいに拗ねて、彼の言葉無視して………バカみたい。
 でも………由紀子ちゃんの名前を聞くたびに、私の心の中に、重くどろどろとした澱が溜まってゆく。その
重さに、私のこころは押し潰されてしまいそうだった。

 告白…………やめちゃおうかなぁ……………。

 そんな弱気の虫が、頭をもたげる。ひょっとしたら、彼の心の中には、既に美嶋由紀子という名の女神像
が鎮座ましましているのかもしれない。そんなことすら考えてしまう。
 ………ダメだなぁ。へこんでると、ろくなこと考えない。
 影に怯えてどうするのよ。もっと自信を持ちなさい、ラスカ!
 ともすれば萎えそうになる想いを奮い立たせるために、両の頬をぴしゃりと叩く。「気合いを入れる」と称し
て、ウヨ君がたまにやっているしぐさ。
 うん、がんばろう!

 食事で色落ちしちゃったリップを、丁寧に塗り直す。彼は気づいてくれてないようだけど………でも、いつ
か気づかせてみせる。私だけを見つめてもらえるようにしてみせる。

 ……………彼の、恋人になってみせる。

 お手洗いを出て、売店へ。結構にぎわっているようだ。
 待たせちゃってたら、悪いよね………。
 もういちど頬を叩いて、私は駆け出した。彼の元に。いつもの、でもちょっとだけ違う私に戻って。

     つづき

  〜Side Uyo 〜
 会計を済ませた、まさにその瞬間、後ろからポンと肩を叩かれた。
「お・ま・た・せ。……………何か、買ったの?」
 さっきまでの不機嫌さを、どこかに投げ捨ててきたかのような、明るく可愛らしい微笑み。そのあまりの落
差に、オレは言葉を失ってしまう。
 女心となんとやら………か。
 詮索しても、まともな答えなど見つからないだろう。
 ただ一つ言えるのは、いつもの人懐っこい彼女に戻ったということだけ。であるならば、オレも、いつものよ
うに振る舞うだけだ。

「ああ、ちょっと、ね。…………はい、これ」
 買ったばかりのぬいぐるみを、ひょいと手渡す。反射的に受け取ったラスカちゃんは、可愛らしいそれを見
て、顔をほころばせた。
「わ、可愛い〜。これ、くれるの?」
「ああ、こういうの好きだろ、ラスカちゃん?」
「あ………ありがとう………!」

 輝くような、満面の笑み。オレの予想通りの………いや、予想以上の、極上の笑みだった。ついつい、頭
をわしわしと撫でてあげたくなる。流石に子供扱いしているようで、迂闊にそんな真似はできないが。
 しかし、はっきり言ってさほど高くもないぬいぐるみ一つで、こんなに喜んでくれるとはな………。
 彼女の笑顔は、他人をも幸せにしてくれる。いつまでも見ていたい、そう思わせてくれる笑顔だった。

     つづき

  〜Side Laska〜
 丸まって眠る仔猫をかたどったぬいぐるみ。それを、私は、胸に抱きしめた。
 それだけ。ただそれだけで、とてつもなく幸せな気分になれる。可愛いぬいぐるみだから、というわけじゃ
ない。高価なものだから、というわけでもない。

 ウヨ君が、くれたものだから。

 これが、とんでもなく高価な―――たとえば指輪だったとしても、他の人から貰ったものであれば、こんな
気分にはならなかっただろう。それが、兄さんやパパからのプレゼントだったとしても。
 そう。
 私にとっては、ウヨ君が――日ノ本武士君がくれたものであるという、ただその一点だけで、大切な宝物に
なりえるのだ。たとえ、それが下らないガラクタだったとしても。

 ああ、私は、こんなにも彼を愛しているんだ。

 私は、つくづく実感した。
 そして、決意をさらに強固なものにした。

 絶対に、告白しよう。「幼なじみ」を卒業して、「恋人」というステップに進もう、と――――。

     つづき

 ゆっくりと、ゆっくりと、視界がひらけてゆく。夕焼けに染まった町並みが、眼下にひろがる。
 私たちは、遊園地のしめくくりとして、観覧車に乗っていた。

 何度か、告白のチャンスはあった。思い切って口に出そうとしたこともあった。
 でも………そのたびに、彼は、由紀子ちゃんの名を口にしていた。まるで私の心を読んでいるかのように。
そして、その名を聞くと、私の勇気はスポンジに吸われる水のように消え失せてゆく。
 間が悪い―――ただ、それだけの話だけど、こうも立て続けだと、気分も滅入ってくる。

 ひょっとして、わざとやっているんじゃ…………。
 ウヨ君、私から告白されるのを避けているんじゃ…………?

 そんな疑惑が、頭をもたげる。だけど、私は、それを即座にうち消した。
 彼は、こと恋愛に関しては、そんな器用な先読みができる人じゃない。ごくごく普通に振る舞っているだけ。
それが、ことごとく私の出鼻をくじいているだけだ。それはそれでイヤな話だけど。
 それに………そんな真似をする人ならば―――そもそも、こんなに好きになったりなんか、しない。

 というわけで、私は少々……いや、かなり焦っていた。この観覧車から降りたら、あとは帰るだけ。
 告白のチャンスも、確実に少なくなっていく。この機会を逃したら…………今度は、いつその機会が巡って
くるか判らない。いや、巡ってくるかどうかすら判らない。
 でも、考えてみれば、観覧車の中での告白って、なんだかドラマチックよね。まるで恋愛映画みたい。
 災い転じてなんとやら。絶対にこのチャンスは逃さない。

 ひそかに、拳を握りしめる私だった。

     つづき

 いつの間にか、ゴンドラはかなり高いところまできていたようだ。地球町が、一望できる。
 どことなく雑然とした印象のアジア町。おおきく広がる太平湖。その向こうには、私の家がある北米通り。
目を転じれば、瀟洒な建物が建ち並ぶユーロ町。中央公園のこんもりした緑の向こうには、あの懐かしい地
球小学校、何故かあまり印象に残っていない地球中学校、そして、この春から通っている地球高校も見える。

 私の大好きな街。思い出が、いっぱい詰まった街。そして、これからも、いっぱいいっぱい思い出を作る街。
たぶん、私はこの街を離れることはないだろう。ここで成長し、結婚し、子供を産んで、そして生を終えるのだ
ろう。
 そのとき………私の隣に居てくれる人は、誰になるのだろう?やっぱり…ウヨ君、かな?
 だったらいいな。
 そのためにも、なんとしてでも告白しなきゃ。先走りすぎてるかもしれないけど、それだけ私は真剣なのだ。

「なあ………こうして見るとさ。この町も、なかなか綺麗だよなぁ」
 不意に、ウヨ君が呟いた。どうやら、私と似たような感慨を抱いているらしい。
「騒がしくて、喧嘩も絶えない街だけど…………オレ、やっぱここが好きだわ」
「うん………私も。私も、この街が大好き」

 そして、なにより、あなたが大好き。

 そう、言葉をつなげようとした。だが……街を見下ろす彼の横顔を見た瞬間、私の口は職務を放棄した。
 人によっては凛々しいと表現するだろう横顔。夕陽を受けて、陰影を濃くしている横顔。
 その横顔が、穏やかな微笑みをたたえている。あまりにも柔和な表情。私が初めて見るものだった。
「そうだな……。なんだかんだ言っても、オレたちの故郷だもんな」
 ウヨ君が、私に顔を向けて笑いかける。その瞬間、私の心臓が跳ね上がった。

     つづき

 なんて表情するのよ…………。

 優しげな微笑み。ニホン姉さんと姉弟だってことを、なにより雄弁に証明するその笑顔。こんなにも私の心
を、暖かく、優しく………そして、切なくさせる表情があるなんて。

 ………ずるい、よ…………。
 こんな表情されたら…………何も言えなくなっちゃうじゃない………。

 私は、ウヨ君を正視できなかった。今の彼の、優しく、穏やかな瞳に見据えられると、言葉の井戸が干上
がるような気がしてくる。伝えたい想いが、言葉という形にならないような気がしてくる。
 胸の奥から沸き上がってくる想いが、行き場を失って体中を駆けめぐる。くすぐったいような、泣きたくなる
ような、逆に微笑みを漏らしたくなるような………虹のように、様々に彩られた感情が、全身に満ちてくる。
 ぎこちなく、彼から目を逸らす。頬どころか、身体全体が熱く火照っている。多分、私の顔は真っ赤だろう。
茜色の夕陽に、全てが染め上げられているのが救いだった。

 はやく告白しなきゃ。でもでも、言葉が出てこないよぅ…………。
 ウヨ君。おねがい。ほんのちょっとでいいの。そんなに素敵な表情を、私に見せないで…………。

 いまや、ゴンドラという名の密室は、私にとって、素晴らしき牢獄、甘やかな煉獄とでもいうべき場所になっ
ていた。これほど幸せで―――これほど苦しく切ない空間があるだろうか。

 ダメ。ダメよ。言わなくちゃ。今言わないと、きっともう二度と言えなくなっちゃう………。
 神様。おねがい。私に勇気を――――!

「ウ、ウヨ君!」
「……ん?」
「あ、あのね…………」

     つづき

 夕陽が、山の向こうに消えようとしていた。東の空は、深い藍色に染まり、気の早い星が自分の出番に喜
んでいる。
 中央公園の遊歩道。前を歩くウヨ君の足取りは軽快だ。
 …………それと対照的に、私は、がっくりと肩を落とし、足を引きずるようにとぼとぼと歩いていた。

 ―――――結局、告白できなかった……………。

 意を決して切り出したのに、彼に笑顔を向けられた瞬間、考え抜いた告白の言葉は、蛍火より儚く消えて
しまった。………私は、下らない雑談に逃げてしまったのだ。
 泣きたかった。
 想いの大きさが、かえって告白を邪魔するなんて………。
 それ以上に、土壇場で勇気を出しきれなかった自分の情けなさが憎らしかった。

 暗い表情で、まるで幽霊のようにふらふらと歩く私の内心を知ってか知らずか、ウヨ君が、明るい声を出し
た。私を振り返ることなく、前を見据えたまま。
「今日は、楽しかったな。……なあ、今度は、みんなでまた行こうな。マカオやヨハネ、コルシカやケベックや
チョゴリも誘って」

 ……………そんな気分じゃないよぅ。
 彼にとっては、今日のデートも、「仲のいい友達と遊びに行った」だけなのだ。そもそも、デートだという意識
は欠片もなかったに違いない。気合いを入れまくっていた私の、独り相撲だったのだ……………。
 一瞬の間。少しだけ口ごもったあとで、彼は、私の中のなにかを壊すひとことを言い放った。

「ああ………それと、ユキも一緒にな」

                   その瞬間、私のこころは悲鳴をあげた。

     つづき

  〜Side Uyo〜
 オレは、ふと足をとめた。後ろからついてきていた、ラスカちゃんの足音が聞こえなくなったのだ。
 振り返ると、彼女は、遊歩道の真ん中に立ち止まっていた。
 うつむいて、彫像のように微動だにしない。前髪に隠されて、その表情を伺い知ることはできなかった。堅
く握りしめられた拳が、かすかに震えている。
 一体、どうしたんだ………?
「ラスカちゃん?…………どうかしたのか?」
「………………………してよ…………………」
 彼女の唇が、小さく動いた。だが、押し出された声は、ほとんど囁き声に近かったために、まったく聞き取
れない。
「なんだって?……おい、気分でもわる」
「いい加減にしてよっ!!」
「……………!?」
 突然の大声。……いや、これは「絶叫」とでもいうべき声だった。
 驚いて、固まるオレを、ラスカちゃんが睨み付ける。真っ赤に充血し、大粒の涙をたたえた瞳がそこにあっ
た。…………な、なんでいきなり怒りだしたんだ?オレ、何か悪いこと言ったか!?
「ユキ、ユキ、ユキ、ユキ、ユキ、ユキ!由紀子ちゃんのことばっかり言わないで!」
 な………なんでここでユキの名が。オレ、そんなにあいつのこと言ってただろうか?
 混乱するばかりのオレを、ラスカちゃんはじっと睨み付けている。やがて、眉が下がり、唇から押し殺した
嗚咽が漏れ始めた。
「ねえ…………ふたりきりでいるときくらい、私だけを見て欲しいと思うのは……わがまま、かな………?」
「………………………………………」
「私が側にいるときだけは、彼女のことを考えないでほしいと思うのは…………身勝手かな………?」
 嗚咽と共に吐き出されるその言葉は、まさに血涙そのもののように思えた。そしてオレは、唐突に悟った。
彼女が泣き出し、怒りだした理由を。なに気なく吐いた言葉が、どれくらい彼女を傷つけていたかを。そして
……………オレが犯した罪の深さを。
 やがて………その瞬間はやってきた。
「私だって…………私だって…………………」
 声が、これまでにない激情で揺れた。ほとんど悲鳴のような言葉が続く。

                「私だって、ウヨ君のことが好きなのに!!」

「……………………………………………………!!」
 今度こそ、オレは本当に声を失った。

     つづき

  〜Side Laska〜
「私だって…………私だって………………」

 だめ、いけない!
 私は、自分が何を言おうとしているのかを知りつつも、それを自ら押しとどめることができなかった。

「私だって、ウヨ君のことが好きなのに!!」

 …………長い長い時間をかけて、心にためこんできた想い。危険水位まで来ていたそれが、由紀子ちゃ
んという名の石が起こした波紋によって、理性の堤防を決壊させた瞬間だった。
 私の中にかすかに残っている冷静さも、もはや自分自身の暴走を止めることは出来なかった。
 私は泣いた。泣きながら、ウヨ君を詰り、かき口説き、それまで言えなかった想いをすべてぶちまけた。
その支離滅裂な告白を、ウヨ君は、身じろぎ一つせずに聞いている。

 ―――彼、呆れてるなぁ………。嫌われちゃうかなぁ………。
 ああ………………最低の告白だわ………………。

 自分自身に感じる情けなさ。ウヨ君に対する憤り、そして甘い想い。由紀子ちゃんに対する嫉妬。
 それらの感情が絡み合い、もつれ合って、私を痛めつける。

「ねぇ……………何か、言ってよ………」
「…………………………」
「こんなに好きなのに…………あなたのことしか考えられないのに…………。こんな………こんな思いを
するくらいなら……………いっそ、あなたと出逢ったりしないほうがよかった!」
 好きにならないほうがよかった、とは言えなかった。きっかけがどうであれ、多分私は、出逢ったが最後
必ず彼に心奪われていただろうから。今、この瞬間のように。

     つづき

  〜Side Uyo〜
「ずっと……………ずっと見てたんだよ。いつも、ウヨ君の側にいたんだよ。……それなのに……ねぇ、私
は、ずっとあなたの妹でなくちゃいけないの?一人の女の子としては………見てくれないの?」
 ラスカちゃんの独白は続いていた。その一言ひとことが、鋭い錐のようにオレに突き刺さる。

 オレは―――咎人だった。
 ラスカちゃんの心に、数えきれない傷をつけていた罪人だった。

 六年前のあの日―――あの、忘れられない日に、タイワンさんが犯してしまった失敗を、オレは、規模を思
い切り拡大してやらかしてしまったのだ。
 想いを寄せてくれている人の目の前で、他の異性の名を出し、傷つけてしまうという失敗を………。

「ウヨ君にとって、私はいったいなんなの………?ただの妹?幼なじみ?五月蠅い友達?クラスメート?
………………………………その他大勢の中の一人、なの……………………………?」

 違う、そうじゃない!君は、ラスカちゃんは、オレにとって大切な人だよ!!

 思い切り叫びたかった。とめどなく流れる、彼女の涙を拭ってやりたかった。
 だが、衝撃と混乱と後悔と自責の念は、見えない手で、オレの口を塞ぎ、四肢を縛り付けていた。
 ………たとえ言えたとしても、「どう大切なのか」と切り替えされたら、言葉に窮したに違いないが。

「なんにも…………言って………ひくっ………くれないんだね………………………これじゃ………いっそ
………うっく……ひと思いに………ひと思いにフラれてしまったほうがましよぉっ!!」

 どこかで、何かが壊れる音が聞こえた。
 それは…………今までのオレたちの関係が、砕け散った音だったのかもしれない………。

     つづき

 抱きかかえていた、仔猫のぬいぐるみが、舗道に跳ねた。ラスカちゃんは、それを顧みることなく、一足飛
びにオレの懐に飛び込んできていた。
 抱きついてくるのか、と、痺れたような頭の片隅に、そんな考えがよぎる。
 だが………………ラスカちゃんは、吐息がかかりそうな距離で立ち止まると、やおら握り拳を振り上げた。
振り上げ、振り下ろし、オレの胸に拳を叩きつける。

「馬鹿!馬鹿馬鹿馬鹿!!ウヨ君の馬鹿!………私は……私は……ひっく…ずっと………えぐっ……!」

 ぽかぽかとオレの胸を殴る、華奢で、弱々しくて、ちいさな握り拳。ちっとも痛くない打擲。それなのに……
何故だろう。何故………こんなに、心が激痛を感じているんだろう………?

「うぇっ………うぐっ…………嫌いよ………ウヨ君なんか……………大嫌い!」

 涙が、アスファルトに丸い染みを作る。
 そのとき、オレは、唐突に気づいた。ラスカちゃんが、口紅をつけていることに。その美しい髪を束ねている
リボンは、数年前のクリスマスに、オレ自身が贈ったものだということに。
 …………彼女の、せいいっぱいのお洒落。そんなことにも、オレは、気づいてやれなかった…………。

「朴念仁、ばか、ニブチン、無神経!嫌いよ、だいっ嫌い!………………………大好き………っ!」

 途切れることない衝撃を、胸に感じながら、オレはひたすら無言だった。
 なにか声をかければ、さらに彼女を傷つけてしまう。そんな気がしてならなかった。

 あるいは、何も言わずに、強く抱きしめればよかったのかもしれない。

 だが、それすらできず………………オレは、ただラスカちゃんの泣き顔と、華奢な拳を見つめているしか
できなかったんだ――――――――――――――。

                                               つづく

                           次回予告

「オレは、最低だ―――――」

 オレは、ラスカちゃんを傷つけてしまった。

「いや……………違うな。そう、オレは…………」

 永遠に刻みつけるべき罪。心への刻印。

「そう…………そんなことが……………」

 慰めも励ましも、それをぬぐい去ることはできない。

「武士。一足す二の答えは、なんだと思う?」

 次回「とまどい」

 オレには一つの義務がある。どんなに辛くとも、果たさねばならない義務が。

三毛であります。
と、いうわけで、とうとうラスカちゃんは告白してしまいました。
…………自分で書いといてなんだが、最低だぞウヨ君……………。

しかし、前回はラスカちゃん中心の話で、今回も同様。メインヒロイン(のはず)由紀子の影が、どんどん薄く
なっていくなぁ。本来なら、お蔵入りした本来の第六話は、由紀子中心の話になる予定だったんだが……。
さらに、次回はウヨ君の話になるので、ますます影が薄くなる罠。

次回は、いくらなんでも半年以上放置するなんて真似はいたしません。できるだけ早くうpしたいと思います。
物語のターニングポイントだし。
では!

                          望月衛介 「愛と哀しみの果てに」を聴きながら  三毛 拝

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