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第29話 有閑工房 ◆aKOSQONw 投稿日: 2003/11/12(水) 20:52 ID:yys6XGYE
『Dark Side of the Moon』File-2

 通い慣れた街、通い慣れた場所。感傷に浸る気分でもないが、忌々しさの中にひとかけらの
懐かしさがある。思い出が綺麗なものだけ残すのなら、俺はこの町がまだ好きなはずだった。
でも今は嫌いだ。ただ、それだけだ。
 夜勤明けの警察官が疲れた顔で入口から吐き出される。今日も生き延びた安堵が、生き地獄
から開放された警官だった連中の顔を錯綜する。
 目星をつけた奴が安いのが売りのカフェテリアに入るのを見届け、間を置いて同じく中に
入った。
「久しぶりだな。」
 声をかけた相手は心底から歓迎したくなさそうだった。
「なんだ…強請のネタは今はないよ。」
「そう言うなクーロイ。お互い背負ったものがあるからそう言いたいのは解るさ。ところで娘は
何歳になる?」
「7歳だ。」
「そうか。家族は大事にしないとな。」
 俺はタバコを差し出し、クーロイが咥えたときに火をつけてやる。俺はこいつにとっている
だけで災難らしい。確かにやっと支えている家族を掻き回しに来るのは俺の役目だ。
 クーロイの顔に、かつて共に命を張ったはずの人間への嫌悪と侮蔑があった。そういう態度を
とらせる責任は俺に間違いなくある。ただ反省して態度を改めないだけの話だ。
「今度は何だって言うんだ。俺も眠い。話なら手短に頼むよ。」
「安心しろ。昔みたいに弾除けにしたり死体運びをやらせるわけじゃない。そんな事よりぐっと
楽なことさ。」
「嬉しいね。俺に出来ることなら協力させて貰うさ。どうせ断れないんだろ?」
 ジョークとしては良く出来たものだろうが、真実だった。過去の経緯は俺に幸運なプレゼント
をくれる。
 20ドルばかりをクーロイの肩の擦り切れたジャケットにねじ込み、望み通り手短に話して
やった。
「チュウゴが最近弱みを握った奴がいるだろう?そいつを洗ってくれ。なに、それが警官でも
一向に構わんからな。」
 どこかの誰かから賄賂を貰っている警官や検察なんて世の中にいない。清廉潔白な公僕以外
を雇えないとしたら、町はたちまち無人になるだろう。クーロイだって例外じゃない。一般の
黒人警官の安月給で、家族を持って暮らすには無理がある。そうなると副業を持つのが最高に
良い。警官をやっていれば金ずるに困らないのだ。それを使わない警官は、餓死するか名誉と
棺桶をセットで市民から頂くかのどちらかなのだから。
 二人分のコーヒー代をカウンターに置くと、俺は店を出た。
   *
 車を走らせてアジア街に入る。チュウゴの犬と言えばここで巣食っている奴にまず間違い
ない。貧相な町並みと気が滅入る匂いは相変わらずだ。
 チュウゴが街を仕切るようになって余計にひどい町になったらしい。知恵をつけたのも唆した
のも俺だからこの現状に文句は言えないが、出会う人間に「お気の毒さま」と言うくらいの
愛想は振れそうだ。気の毒なのはお互い様だからだ。
 煙草の残りが心細くなった頃、目当ての男は急ぎ足で車の横を通り過ぎた。ビルの入口に
消えたのを見届けて、車から降りて後に続いた。エレベーターホールで不恰好なバッグを大事
そうに抱えた男が苛立たしげにエレベーターを待っている。
「景気のいい顔だな、ええカンコ?」
 声に疲れが皮膚に張り付いた男が振り返る。顔が怯えているのは演技ではなさそうだ。
めまぐるしく変わる表情が俺に会いたくなかったのを説明してくれたが、別にそれで応対を
変える気はなかった。
「久しぶりニダな。随分やつれたんじゃないニダか。」
 こいつの選んだ顔は作り笑いと見え透いた友好だった。
「家も随分広くなっていい事だ。」
「みんなのおかげニダ。これでウリも一人前になれたニダ。」
 エレベーターの扉が開き、一礼してカンコは中に入る。無言で続いた。さっとカンコの
顔から血の気が引く。
「どうした?ボタンを押さなきゃ永遠に二人きりだぞ。」
 固まっていたカンコにそう言うと、弾かれたようにを押した。ゆっくりと密室が上昇を
はじめる。
「何の用ニダ。もうウリとは無関係のはずニダ。」
 その台詞で引き下がるのは、別れた女でも物分りのいい類のやつだけだ。残念なことに俺は
強情でその上男だった。
「旧交を温めるのも、下らない人生には必要だろ?」
 カンコが嫌がるのを十分に確かめる為、大事に抱えたバッグを鷲掴みにする。思った通り
カンコは薄ら笑いで怯えを誤魔化そうとした。余程大事なものが入っているのだろう。俺は
社交的に微笑み続ける努力を心掛け、七割方は達成したように思う。残りの三割は笑顔に
なれない台詞をカンコが吐いた時だけだ。昔を知る奴は、随分と俺が丸くなったと思うに
違いない。
   *
 事務所に寄る気も起こらずに家に戻る。盛大に錆付いた門扉に手をかけたところで背後で
車のドアが開く音がした。ポケットの左手でブラックジャックをまさぐりながら振り返り、
人影が誰か見極めても左手はポケットの中に入れたままにした。
「左手で握ってる物騒なものを離してくれないか。」
「商売柄油断は出来ないんでね。」
「安心してくれていい。殺す気なら見つからないところに隠れている。」
「そういって背中にぶち込んだ事があるんだよ。」
「そうだな…キミにそうする時は誰かから報酬を貰いたいもんだ。」
「相場が落ちないうちによろしく頼むよ。」
 二人で非友好的な笑顔をかわす。クーロイはいかにも早く帰ってコーヒーでも飲みたいと
言った感じで無造作に封筒を差し出す。
「言われていた奴を見つけたよ。」
「早いな。」
 適当に封を破り、右端が破り捨てられた書類を取り出した。
「手口はいつも一緒だ。恩を売りつけてそれで利用する。」
「俺と同じか。」
「そういう事だ。」
 渡された警察の内部文書は当たり前のようにエシュロンの書式だった。
「それじゃあ。弾が急所を外れないことを祈ってるよ。」
 そそくさとクーロイは踵を返す。
「娘と奥さんにボディーガードをつけとけよ。」
「君が生きて帰ったら考えておくよ。」
 部屋に戻り内容を確認する。チュウゴも代わり映えのしない手を使う。巧妙に罠を張らなく
ても、引っかかる奴が悪いといえば悪いのだろうが。

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