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第30話 有閑工房 ◆aKOSQONw 投稿日: 2003/11/14(金) 12:10 ID:MczYkzlI
『The Wall』

 新参者に優しくない町並みがある。そこを今自分が歩いていると思うとこの仕事をして
いて心の底から嬉しく思う。それが良いんだと調子に乗って入り浸り、丸裸にされて惨殺
された奴もいた。一歩間違えれば俺もその仲間入りだ。誰一人優しくない視線を浴びながら
俺はバザールに向かった。
 目当てはここに夕方必ず来るとの事だった。確かに取引するにはもってこいだ。いい場所
を選んだものだ。探していた人影を見つけると、俺は後ろからゆっくり近付き、逃げられない
ところまで距離を詰める。しかし、横っ飛びにそいつにしがみつく二人の子供に少々怯んだ。
ああ、そういや母親になったとか言ってたな。
「英雄のお供にしたら随分頼りない連中だな。」
 言われた人影はびくっと肩を震わせて振り向いた。
「照れて言葉にならないのは判るが、こっちとしては質問に答えてもらいたいんだがな。」
「終わったことを今更言わないで。」
「何も終わっちゃいない。これからもずっと続くだけさ。エンディングがあるのは画面の
向こうだけの話さ。現実には後日談がくっついている。思うようにいかないものだよ。」
 俺は諭すように言いながら近付く。パキスはのろのろと引き下がる。子供のぶら下がった
手を一瞬強く握ると、ゆっくりその手を離して下がるように目配せした。子供たちは俺から
目を離さずに母親の陰に隠れる。逃げるなら本来手の届かない所に行くべきだが、子供に
それを求めるのも残酷だろう。子供にはもっとわかり易く教えてやるほうがいい。
 子供を守るように立ちふさがるパキスの下顎に軽く拳を入れる。無防備なパキスはよろめいて
片膝をついた。
「聞きたいことがある。チュウゴが手を組んでいる奴は誰だ?」
「何のことか解らないけど、いきなり殴るのはひどすぎないかしら。」
 言葉は気丈だった。ならば芯の方も昔のままなのか無性に試したくなり、気分はそのまま
行動になった。立ち上がりかけたパキスの脇腹に膝をめり込ませた。防御もとらず、呻き声と
共にパキスは崩れ落ちた。
「何だよ、ムジャヒディンならもっと根性見せてみろよ。」
 正直不満だった。あの時の強さは一体どこに置き忘れたのだろう。
 無様に倒れ込んだパキスの横面に蹴りを入れると、横で見ている子供が母親の名前を叫ぶ。
鬱陶しいことこの上ない。腹立ち紛れにそいつらでも殴ろうかと思って踵を返すと、パキスは
俺の足首をつかむ。
 親子の情愛、プライドすらも棄てて必死で子供を守ろうとする姿。吐き気がしそうだった。
こみ上げてくる嫌悪感を止める事はしない。戦士にはそれ相応の礼儀が必要だ。
「おい、俺は強い奴には強いままいて欲しい。しかし何だと言うんだ、この母親っぷりは。」
パキスは無言だ。見返す眼差しに狂気の影がちらつく。俺がこいつに関わっている最中に誰かが
子供を遠ざけてゆく。
 俺はポケットから拳銃を取り出して足元に放った。そのまま二、三歩下がりパキスに立つ
ように促す。パキスは疑い深そうにゆっくり立ち上がった。
「証明しろ、自分の強さを。そうでなきゃいけないだろうお前は。俺は銃も握れない奴をぶち
のめしたなんて思いたくない。」
 更に数歩下がる。パキスの殺気は俺を正確に撃ちぬく。相手が女だろうが怪我人だろうが
戦う相手に容赦する術を俺は知らない。パキスが拳銃に飛び掛かる。同時にその手を蹴り上げる。
パキスの手に拳銃が弾かれて地を這う乾いた音がした。体勢を崩したパキスは顔面から地面に
突っ込んで軽い呻き声を上げた。
 飛んでいった拳銃を拾い、また同じ場所に置く。
「さあ、もう一回だ。」
 痛みと屈辱で顔を歪めながらパキスは立ち上がる。さっきと同じことが繰り返されるが、
パキスの動きには切れがない。また地面にキスをする羽目になった。
 俺は無言で拳銃を元に戻し、同じ場所に立つ。しかしパキスは立ち上がらない。
 その場でパキスは泣き崩れた。俺は歩み寄り、髪の毛を掴んでこっちを向かせる。
「お前には無用みたいだな。俺に立ち向かわないのならそれでもいい。心配しなくてもいいさ。
どうせ結果は一緒だしな。」
 パキスの嗚咽は止まらない。
 取り囲んだ人の輪の中から、老人が一人で俺とパキスの間に割って入る。俺がパキスから離れ
ると、放心したパキスを優しく抱きしめる。
「白人よ、もういいだろう。これ以上無意味に敵を作ることもない。」
「どうするかは俺が決める。」
「我々は戦うために敵を求めない。それをお前は知っているはずだ。」
「すまないな、忘れっぽいんでね。」
 老人の顔を思い出したとき、パキスを何とか立ち上がらせたその背中に蹴りを一発お見舞い
した。老人は無様に地面に這いつくばると、小さな呻き声を上げた。どこかの骨が折れたのかも
しれない。
「どこかで見たことがあると思ったが、こりゃ懐かしいな。物知りのタリバンじいさんか。」
 勿論この老人から返事はない。俺も期待なぞしていなかったが。
「さあ、選ぶ権利は誰にもありはしない。パキス、あっちで旧交を温めるとしようか。」
   *
 無理やり押しかけたタイランの家からカンボジアの家に忍び込む。懐かしい場所だった。だから
といって郷愁に浸れるような所ではなかったが。住人が少ないだけに相変わらず庭木は伸び
放題で、物陰から襲われれば、今ならひとたまりもないだろう。
 何となく見つかっている気はしたが、とりあえず警戒しながら前へ進む。茂みの中に人一人
通れる通路があった。気配はないが誰かが頻繁に通っているのだろう。外からは全くわからない
よう巧みにカモフラージュしてあった。
 カンボジアの家の連中がこの間道に気がついてない訳がない。間違いなくこいつもグルだろう。
そうなれば自分の置かれている状況がどういうものかわかってきた。別にそれで諦めるつもりは
ないが、せいぜい死なない程度に努力したいものだ。ここはその努力が限りなく報われない所の
ようだが…。
 警戒心と緊張から体中汗まみれだった。勿論暑いのもあるが。こんな場所に好き好んで住んで
いる連中の気が知れない。不快と鬱陶しさがもれなくセットで貰えるこんな場所にだ。
 少し油断していたのかもしれない。無意識の内にポケットから煙草を出すと、口に咥えて火を
つけた。自分が何をしているか気がついたのは背後で物音がした時だ。
『間抜けめ!こんな時に何をしているんだ!』
拳銃の感触が指先に合った瞬間、どこに走った解らない痛みが襲う。瞬間に俺は意識がなくなり、
視界の端に浮かぶホーチミンの影を感じていた。何故かはわからないが、倒れてゆく感覚だけが
不思議に残った。

to be continued-

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