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第4話 どぜう ◆3F8jIdnlW2 投稿日: 2006/01/20(金) 20:16:59 ID:IAXdRcWp
『もくまおう』

1.
物心がついたときから、ニッテイさんは時々僕の家へ訪れていた。
制服を着、背を伸ばして遠くから歩いてくるその姿を、
我が家へ続く道で見つける度に、僕は嬉しくなったものだった。
来る度に、彼は新しいことを私に教えてくれた。
時々だったけれど、珍しいお菓子をくれたこともある。
僕の頭を撫でる彼の手は少し、節くれだってはいたけれど、
そんな彼の掌が僕はとても好きだったし、実際彼は我が家では人気者だった。

彼の家は我が家と比べると随分と大きいらしく、
その性格もあってか、多くの人に好かれていた。
大きな樹に小鳥が集うように、
彼の回りにはいつもさえずりのような笑い声が絶えなかった。

「行くんですね」
月明かりの下、僕はそれだけを彼に尋ねた。
背嚢を背負い、戦いの支度を始めた彼は僕のことに気がつき、
「ああ」と、短く答え、立ち上がると「少しだけ話をしようか」
と、云って、僕に笑いかけた。

いつからか、この町は殺伐としていた。彼と、僕の家も例外ではなかった。
波の音が絶え間なく響いている。
砂浜を二人で歩きながら、何を話そうかと僕は考えていた。
『もくまおう』

2.
「――腹ぺこのまま、学校には行くんじゃないぞ、それから、
天気のいい日は布団を乾しなさい…あと――」
なぜ、こんな事を彼が僕に云っているのか、なんとなく判っていた。
「――それから、土の上を、裸足で走り回って遊ぶんだ」
あまりにも平凡な約束ごとを聞いているうちに、悲しくなって、
いつか僕は立ち止まってしまっていた。
「?どうしたんだ?」振り向いた彼は、やっぱり静かに笑っていた。
「帰ってきてください、絶対に」
「それは、出来ないよ」僅かな沈黙の後で彼はそう答えた。

そして、砂の上に座り、胸のポケットから二枚の紙切れを取り出した。
「孫が、出来たんだ」と嬉しそうに笑いながら、その紙を僕に見せた。
一枚は、白い産着に包まれた、赤ん坊が眠っている写真。
そしてもう一枚にはいくつもの名前が書かれていた。
その中で、2つの名前に○が付けられていた。

「男の子だったら武士、女の子だったらさくらだと決めてたんだ。
私が、名付け親にね」
武士は判る、彼がいつか教えてくれた、戦士の事だ。
けど、さくらってなんだろう?

不思議そうな顔をした僕を見て、彼が付け加えた。
「ああ、君の家には桜は生えていないか。私の家に生えている樹でね、
春先に、短い間だけど綺麗な花をつけるんだ。」
遠い地で、生を受けた孫と、故郷の桜を思ってなのか、
彼の目が、少し遠くへ泳ぐのが月明かりの下でも判った。
「かわいいだろう?まだ生まれて間もないけれど、
きっと桜の花のように綺麗な子になるよ」
『もくまおう』

3.
また、砂浜は波の音だけになった。
「時間だな」懐から時計を取り出し、そう呟くと、
彼は北の岬へ向かって歩き出した。空の端が、いつか白み始めていた。
「もう、家に戻るんだ、そして、扉に鍵をかけて、眠りなさい」
振り向かずに彼は最後にそう僕に云った。
月明かりに照らし出された彼の影は、まるでもくまおうのようだった。

…それから数日間は、よく覚えていない。
朝起きると、海と空は相変わらず青かった。
けれども、彼が我が家にいなくなってしまったことだけは良く判った。
そして、二度と、ここに戻ってこないことも。

力が欲しいと思った。
彼を守れるくらいの力が欲しかった。

我が家から彼がいなくなってから、
アメリー家の人間が家を訪れて、鍵を掛け替え、色々なものを持ち去っていった。
彼が家に残していったものは、あらかたなくなってしまった。
彼と一緒に作った本棚や、一緒に釣りに出かけた舟、釣竿や、色々。
長い間、抜け殻のように僕は過ごした。
朝起きて、布団で寝返りを打って、時々泣きながら、夜を待つ。
そんな毎日が、長く続いた。

ある夜、僕は眠れずに散歩へ出かけた。
あの時、彼と別れた砂浜へ行くと、海の上に月が出ていた。
海は凪いでいて、その水面に、月が銀色の影を長く落していた。
まるで、月の道のようだった。
この道を歩いていけば、彼にまた会えるかもしれない。そう思った。
その季節、水はまだ冷たかったけれど、気になんてならなかった。
『もくまおう』

4.
強い力で不意に抱き寄せられた。
僕の背中を、父さんが抱きとめていた。
無理やり浜辺まで引きずり出され、何度か頬を叩かれ、そして抱き締められた。
顔は、よく見えなかったけれど、たぶん父さんは泣いていたんだと思う。
父さんの肩越しに見える月の道が揺れ、滲んで消えたのは、
僕が泣いていたからのか、それとも海が揺らいだのかは判らなかった。

さざ波のように静かに、時間は重なり、流れ去っていった。
僕にも人並みに好きな娘ができた。
ぎこちないつき合いから始まって、皆に祝福されながら二人、一緒になった。

そして、子供ができた。

その時の僕はたぶん、自分の孫娘を語った時の彼と同じように、
倖せそうな顔をしていたんだと思う。
何日か考えて、結局息子には『パラ雄』と名前をつけた。

守りたい人がいれば人は強くなれるのだと知った。

僕は働いた。
狭い畑を耕し作物を植え、収穫し、海へ出て網を張り、魚を採った。
掌は固くなった、顔には少し皺が出来たかもしれない。
休みの時には息子と一緒に土の上を、裸足で走り回って遊ぶ。

変わっていく私を、人は笑うだろうか?
笑ってもいいと今なら思える。
彼ならば、きっと、僕の変わらない思いを覚えていてくれるだろう――

【了】

解説 どぜう ◆3F8jIdnlW2 投稿日: 2006/01/20(金) 20:24:41 ID:IAXdRcWp
ttp://www.mofa.go.jp/mofaj/area/palau/data.html
ソースはパラオの…と云いたいところですが、
実際はこの話、パラオでなくても全然構わないんですね。トホホ。

SSを作るに当たって、元になった歌詞はCoccoの『もくまおう』です。
歌詞はコチラ↓です。
ttp://www.utamap.com/showkasi.php?surl=B07065
もくまおうとは、海岸などに防潮林として植えられる樹…らしいです。
しかし、もくまおうがパラオに生えているかは疑問。
東南アジア原産だから多分生えているんじゃないか…と思う。
別れ際にニッテイさんが云っていた約束事は、とある作品からのオマージュでつ。

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