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第10話
あさぎり ◆aKOSQONw
投稿日: 2004/08/06(金) 10:58
『おばけなんて だいきらいっ!』
「ベトナーーー!!」
「は、はぁーーい…」
今日も今日とてベトナちゃん、夏休みになってほっと一息と思いきやさにあらず。
待ってましたとばかりにあれこれ家の手伝いを押し付けられます。
しかも前に頼まれた仕事が終わっていようがまだだろうがお構いなし。当たり前の
ように終わってないと怒られます。
「はぁ…早くがっこう始まらないかなあ…」
世の小学生にとって、夏休みは宿題の存在を思い出すまではまさにパラダイスですが、
ベトナちゃんは埒外のようですね。まだ一週間ですが、すでに音を上げてます。
そして今もフエの間の大掃除を言いつけられて、水の入ったバケツをよたよた運び
ながらやりたい事を呟いています。
「今年こそプール行こうと思ってたのになあ…花火行こうと思ってたのになあ…シュー
キュー練習しようと思ってたのになあ……」
外はすっかり夕方。今日もお手伝いで一日が終わりそうです。
憂鬱な気持ちでフエの間のドアを開けて、はっとします。そういえば、この部屋は
家の中で一番嫌いな部屋でした。なんでって、怖いからです。
家の中の古いものを大事にしまっているので、それを壊すのも怖いんですが、何とも
言えない部屋の不気味さが大きな理由です。
古い立派な仏像、年季の入ったお仏壇、そしてご先祖様の写真がたっくさん…
おまけに物音ひとつせず、ベトナちゃんが雑巾掛けする音だけが部屋の中を反響します。
外を雲雀が通り過ぎ、過ぎ行く風に揺れる柳の枝。
お外で眺めていたら心地よいんでしょうが、今は不気味さに拍車がかかるだけ。おまけに
この部屋、窓がひとつしかなく、物が多いもんだからあちこち闇のように暗いところが…
そしてちょっと半べそ気味になりかけて、自分をごまかしごまかしバケツに雑巾を入れた
とき…
がたっ!
びくぅぅぅぅぅっ!
もうベトナちゃん泣きだす寸前です。細い背中はがたがた震え、水浸しの雑巾をかまわず
握り締めてアオザイに水がだばだば染み込んでいきます。しかしさらに…
ことっ…
瞬間ベトナちゃんは凍りつき、文字に出来ない絶叫を上げると、その場にへたり込んで
わんわん泣き出してしまいました。
何事かと慌ててやってきた家族一同、前後不覚で泣き続けるベトナちゃんを持て余し気味です。
何を聞いても「コン・クィでた、コン・クィでたよぉ」を繰り返すばかり。おまけに腰抜かして
立ち上がれない様子。
仕方なしにホーチミン君がベトナちゃんをおんぶしますが、部屋に連れて戻っても背中から
降りようとしません。
「ベトナ、コン・クィはもういない。兄ちゃんいるから大丈夫だろ?」
「えぐ……っすん……ほんとにぃ?……ひぐっ」
「ああ、だから自分で立つんだ。兄ちゃんも疲れた。」
言われてやっとベトナちゃんも背中から降りました。まあ、ホーチミン君の災難はそれで終わり
にはなりませんでしたが。
晩御飯時にはベトナちゃんはホーチミン君にぴったり寄り添い、ママンに言われても絶対離れ
ようとしません。
おまけにお風呂も一緒に入ると泣き叫び、実際に一緒に入ってしまいました。
ホーチミン君、遠い目でこれは一緒に寝ると言い出すんだろうなあと考えていましたが、案の定
その通りになり、やりたい事も何も出来ずベッドに入る羽目になりました。
しがみつくベトナちゃんは何があっても離してくれそうにありません。半ば諦めて寝付くまで
話しかけていましたが、こうなってみれば中々可愛いもので、自然と妹に愛情が湧くというもの。
ちょっと尋常じゃないしがみつきっぷりですが、たまならいいかなとホーチミン君も仏心が出てき
ました。
やがてベトナちゃんの瞼は重くなり、話しかけても生返事が多くなります。
『やっと寝たか…さて…』
がしっ…
『あれ?』
ベトナちゃんが寝付いたのを確認してベッドを抜け出そうとしたとたん、ベトナちゃんホーチミン
君の首に腕を巻きつけます。
『なんだぁ?もう寝たよな?確実に寝てるよな?』
寝ている女の子と思えない強い力で抱きついているため、はがすのに一苦労・・・しかし寝ている
はずのベトナちゃん、ホーチミン君が引き剥がした瞬間からむずかり始めます。
ホーチミン君、天を仰ぎ、ベッドに戻りました。
『まさかベトナが中学生になってもこのままってないよなあ…』
軽く不安に思いましたが、やがてホーチミン君も眠りに落ちます…随分息苦しかったですが。
*
さて次の日の朝−−−
「えっ………………」
「だからあ、昨日の続き、ちゃんとおやんなさい。」
「ふぇ…」
「泣いてないでちゃんとする!ホーに甘え倒してどうするつもり?いいからとっとと行きなさい!」
タイガーマダムに逆らっては、この家では生きていけません。ベトナちゃん重い足取りでフエの
間に向かいます。
昨日あんなことがあったため、部屋に入る前から神経過敏なベトナちゃん、置物の猫に魂を感じ、
部屋の端っこにいる人形と自分の距離が変わらないか必死に見直します。
常に背後を気にしながら孤独な作業を続けますが、少し恐怖が薄らいだその瞬間…
かっち かっち かっち かっち かっち
突然止まっていた柱時計が動き始めます。
ちょっとした音でびくついているのに、これはあまりに衝撃的。
余程見たくなかったのですが、見ないと余計に不安になるもの。ベトナちゃん恐怖に引きつった
笑いを浮かべてゆっくりと振り返ります。
ここ数年動く気配もなかった柱時計は元気に律動中。まあ止まっていた時計がいきなり動き出す
なんてよくある事なんだと無理に納得させて仕事に戻ろうとしますが、目に飛び込んできたのは
柱時計に滴る赤い色をした液体……そして部屋のどこからかすすり泣く声が……
ぱたっ……
リミットオーバー。ベトナちゃんその場で気絶してしまいました。
ああ、本当にコン・クィはいたんですねえ。
部屋の隅から姿を現すコン・クィ。すらっとした中年の女性、しかし年を感じさせない美しさです。
「ありゃ?…やりすぎ……ちゃったかな?」
コン・クィの正体はママンですか。しかしタチの悪い悪戯ですなあ…
さすがにやりすぎた自覚はあるようで何よりですが、たちまちは気絶しているベトナちゃんを
何とかしないといけません。
ママンは優しくベトナちゃんを抱っこして部屋を出ようとしますが、ふと入り口を見るとパパが
立っています。
「あれ?帰ってたの?」
取り繕うようにママンは笑みを浮かべて声をかけますが、パパの顔は厳しいまま。さすがにママンも
居心地悪そうです。
「これは?」
「あー、うん、ちょっと悪戯したら、やり過ぎたみたい。」
「ちょっと?」
ぎらっと光るパパの眼光。虎はネコになっちゃいました。
「いやはいごめんなさい。かなりやりすぎました。」
珍しくバツの悪そうなママン。なんだかんだとパパの力は強いようです。
「後でちゃんと謝りなさい。」
「ハイ…ごめんなさい。そうします…」
滅多にない事ですが、ママンえらくしおしおです。しかし不思議なことにいたたまれずに視線を
外したそのすぐ後に、パパはもういなくなっていました。
「あれ?パパ?もう、せっかちだなあ…」
少し納得できない消え方ですが、余程怒ってるんだろうと考えて納得してしまいました。
『それにしても、何であんな古臭い服着てたんだろ?ま、いっか…』
*
ハノイの間にとって返したとき、そこにいたのはお使いから帰ってきたホーチミン君。ママン
の腕に抱かれているベトナちゃんを見てぎょっとします。
「ベトナ!これは…ママン、いったい何があったの?」
「あーあーあー、ごめんホー、ママンが悪いの。」
「え?」
「いやあ、昨日あんまりベトナが怖がるんで、悪戯しちゃえって思っったんだけど…やりすぎた。」
照れ笑いを浮かべるママンに、ホーチミン君大人びた咎める視線を送ります。
「昨日の今日だよ。ママンもよく考えてよ。」
「だあからごめんって。ママンも反省してるから。さっきもパパに怒られたし。あ、ちょっとそこの
ソファにベトナ寝かせるからタオルケット持ってきて。」
「わかった。」
ホーチミン君がタオルケットをベトナちゃんの部屋から持ってきたとき、ママンはベトナちゃんの
おでこに濡れタオルを乗せているところでした。
「でもママン、パパいつ家に帰ってきたの?」
「え?」
思わず振り返るママン、顔に不審な影がよぎります。
「今日は朝早くから日ノ本家に打ち合わせにいてるはずでしょ?」
「…え?」
そういえば…頭の中をよぎる朝の会話。ママンの顔はお人形さん並みの白さになってきます。
「ほら、経営者の研究会とかで一日缶詰になるって昨日言ってた・・・」
「………ぇ?」
返事はどんどん遅くなり、そして…
ぱたっ
「ママン?ねえ?ちょっと……」
ママンはその場に卒倒してしまいました。
「昨日といい今日といい…何なんだいったい…」
ああそう言えば、一番の被害者はホーチミン君かもしれませんね。
何とかママンをもうひとつのソファに寝かしつけると、珍しくため息ひとつ。そしてふと背後に気配を
感じ、振り向くとそこには…
「あ、じいちゃんだ。」
さっきのママンが言ってた「パパ」はじいちゃんだったようです。じいちゃんはにっこり笑うと、
すうっと隣の部屋に消えていきました。
その日はホーチミン君、寝込んだ二人の介抱に忙殺され、また一日棒に振ってしまいました。
帰ってきたパパともども、寝ても醒めても二人に引っ掻き回されたそうな…
おしまい
解説
あさぎり ◆aKOSQONw
投稿日: 2004/08/06(金) 11:00
解説・怪談・夏の風物
※ やあみんな、夏のキャンプで夜中の怖い話に精を出してるかな?あ、漏れは仕事でキャンプ行けそうに
ないですけどね!←ヤケ
※ 今回は抱き癖発覚のベトナ…ではなく、あれだけ強かでしぶといベトナム人が、信心深く迷信に振り
回されやすいというお話をば。
コン・マというのはいわゆる『霊』ですな。人は死んだらコン・マになり、その中からコン・クィ、つまり
『悪霊』になってしまうのだそうで。まあコン・クィといえど人の都合で改心してコン・マになったり、
更にタチが悪くなったりするのはご愛嬌。
※ フエは由緒正しきベトナムの古都。日本で言うと京都に当たるのかな?
ソース夏向き
Cafeひろば
http://javinet.web.infoseek.co.jp/
の中の、
ホーチミン市で長期滞在するための、少々無責任な講座(その5)
8 生活の中に見る「迷信」
ttp://javinet.web.infoseek.co.jp/next/many/cyouki_05.html
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