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第31話 火病する名無しさん 投稿日: 2005/06/11(土) 18:03
「割と不幸な双子の見たパリ」

少し昔のお話です。
小さな双子がレストランの四人がけのテーブルに向かい合わせになって礼儀正しく座っていました。双子の座り方を見れば、この二人が悪い家柄の子どもではないことはすぐにわかります。
「夢みたいね」
と双子の妹の小さなアーリアちゃんが、膝の上の白いナプキンを摘まみながら言いました。両親に連れられてやってきたパリの間は双子にとって夢のような場所でした。さらに、パリの間は地球町に住む人たちの憧れの場所でもあります。それは当然、双子にとってもそうでした。パリの間に入る少し前に、このお部屋は昔このおうちに住む人たちが、家宝をしまうためにきれいに作り直したものなのだと、普段はあまり笑顔を見せたことのない双子のお父さんが笑いながら二人に説明してくれたのを、双子はよく覚えていました。パリの間は非常に巨大なお部屋で、今ここのおうちで雇われている人たちはその巨大な一つの空間をさらに螺旋状に部屋分けして使っていますから、パリの間と言うよりもパリ棟とでも言った方が適当かもしれません。小分けにされた一角であるレストランの中だけを見ても、こんなに大きくて立派です。天井からぶら下がった数多くの照明から放たれる山吹色の光が、お店の中を華やかに照らしています。その光のせいで、双子にはお互いの顔が今まで見たことないくらい血色良く輝いているように見えました。実は双子の住んでいた家も、ここの家と同じくらい大きくて立派な石造りの古い建物なのですが、双子にとって自分達の家の印象は、こことは打って変わって暗くて重たくて陰惨なものでした。
「アーリア」
双子の兄の小さなゲルマッハくんが口を開きました。
「何?」
小さなアーリアちゃんが柔らかく微笑みながら答えます。
「これは、僕たちの摂る最後の食事になるんじゃないか」
「え?」
小さなアーリアちゃんはびっくりして聞き返しました。
「こんな高そうな料理屋に家族で来るなんて、この後で心中するとしか思えない」
小さなゲルマッハくんにそう言われると、小さなアーリアちゃんにもその理由に思い当たる節がありましたから、何も返事が出来なくなりました。小さなゲルマッハくんはさらにお話を進めます。
「僕たちの家族のこの行動の理由には三つの可能性がある。ひとつめは、これは夢である場合だ。ふたつめは、おじい様の言っていたことが真実だった場合だ。みっつめは、僕たち家族はついに借金に負けてこれを思い出に一家で心中する場合だ。僕が、この中で一番可能性が高くかつ対処方法を考えなければいけないのは、みっつめの場合だと思う」
双子のおうちは二人が生まれたときにはどうしようもないほど酷く貧窮していました。さらに言えば双子は貧乏ではない生活を知りませんでした。
「ふたつめの可能性は低いのかしら?」
小さなアーリアちゃんは細い声を出して言いました。
「お前、まともな方法で僕たちの家が貧乏じゃなくなるっていう想定が出来るか?」
小さなゲルマッハくんは楽天家でもなければ頭の悪い子でもありませんでした。双子は二人の両親が借金を返すために働いて働いて、ついに働くことも出来なくなったときにお父さんが金歯を抜いて売ったのも知っています。双子のおうちはそれでもまだ貧乏でした。
「でも、おじい様はこれからどんどん生活が良くなるっておっしゃったじゃない」
小さなアーリアちゃんは言いました。事実、双子の家族はお祖父さんと一緒に暮らし始めて以来、生活は少しずつ上向きになっています。最近は借金取りが家に押しかけることもありません。けれども小さなゲルマッハくんは未だに半信半疑でした。実のところ小さなアーリアちゃんも考え方は同じでしたが、双子にとって二人のお祖父さんが紡ぐ幸せな魔法の言葉は崩壊寸前の家族の中での唯一の希望でしたから、それを二人揃って否定してしまうことは恐ろしくてできなかったのです。小さなゲルマッハくんもそれはまた同じでした。
「だからって急にこんな店に入れるようになるとは」
小さなゲルマッハくんは言葉を続けようとしましたが、給仕がやってきたのに気付いてそれをやめました。背筋をぴんと伸ばした年寄りの給仕は、双子には解らない言葉で何か言いながら、テーブルの上にスープ皿を四つ置いていきました。給仕が去ってから二人がそれを覗くと、そこには、表面に細波のような白い紋様が描かれ、真ん中には青い細切れの香草を散らされたクリーム状の淡い紅色をしたスープが、皿の周囲を縁取る薔薇と雄鶏の模様との調和を崩さないように上品に盛り付けられていました。そしてそのスープからは双子が今まで嗅いだことのない何とも言えない良い香りが、まるで二人を包み込むかのように熱と共に溢れ出していました。ほとんど同時にその香りを身体いっぱいに吸い込んだ双子は、やはりほとんど同時に、やっぱりこれは最後の晩餐なのだ、と思いました。その香りは双子の今までの全てと比べて、あまりにも甘やかだったのです。
「僕たちには、どうしようもないことだ。泣いたり騒いだりしないで死のう」
小さなゲルマッハくんがそう言いましたが、小さなアーリアちゃんは何も答えませんでした。そうして無言でうつむく双子の元に、遅れてやってきたお母さんと、お母さんをレストランの入り口まで迎えに行っていたお父さんがやってきて、家族の夕食が始まりました。
スープを飲んでいると、その温かな美味しさに、小さなアーリアちゃんの目からぼろぼろ涙がこぼれてきました。
「わたし、まだ死にたくない!!」
「アーリア!」
両親は双子のこの行動に、揃ってびっくりした顔をしました。
「だって、僕たちこれから借金苦で心中するんでしょう?」
小さなゲルマッハくんが眉根を寄せながら言います。
「二人とも」
お父さんが双子に何か言いかけたとき、さっきから双子の話を聞いていたらしい若い給仕が笑いだしました。それを皮切りに、他の給仕やお客たちが何かを話しながら笑い始めました。二人には給仕や他のお客たちが何を言っているのか分かりませんでしたが、その笑い方には嫌な気分がしました。
「笑うな!元はと言えばお前たちが」
お父さんは途中で言葉を止めると、深い溜め息をつきました。
「先に戴いていてくれ」
お父さんはお母さんにそう言うと、席を立ってお店の奥の方に行きました。お父さんが行ってしまうと、お母さんは二人に向かって言いました。
「お前たちの思っていることはみんな誤解ですよ。ここに来たのは、そうね、これから私たち家族が幸せになっていくお祝いと思いなさい」
お母さんの、小さなアーリアちゃんとよく似た柔らかくゆっくりしたお話の仕方は、双子の不安を取り去るにはうってつけのものでした。ちょっと決まりの悪い顔をして、小さなゲルマッハくんがお母さんに尋ねます。
「じゃあ、おじい様の言っていたことは本当に、本当なのですか?」
小さなアーリアちゃんもお母さんの顔をじっと見ています。
「そうですよ」
お母さんは笑いました。双子はお母さんのその笑顔を見て、とても安心した嬉しい気持ちになりました。双子も顔を合わせて笑い合いました。
家族がデザートを食べ終わる頃には、家族のことを笑った給仕もお客もいつのまにかいなくなっていました。次から次に出てくるお料理はどれもとてもおいしく、そして何よりも、そのお店はとても安かったのです。当然、双子がこういったお店の代金の相場など知るわけがありませんでしたが、給仕が置いていった集金用の銀色のお皿にお父さんが置いたお金は二人が見てもわかるくらい少しでした。二人が泊まっているお部屋に帰るために通る大きな中庭も、人が少なくとても静かで綺麗で、双子はパリの間ってなんて素敵なところなんだろうと思いました。小さなアーリアちゃんがお庭を歩きながらうとうとしていると、お父さんが、
「アーリア、父上が背負うからこっちに来なさい」
と言いました。双子は生まれてからずっと金策に奔走する両親しか知らないでいましたから、お父さんに負ぶわれるのなんて前にしてもらったのを覚えていないくらい久しぶりです。お父さんの背中からの視界は高く広くはるか遠く、未来まで見通せるような気さえしました。次に小さなアーリアちゃんがお父さんの背の上から、何気なく下の方を見ると、お母さんの持っているバッグの中にたくさんの金歯がじゃらじゃらと鈍く光っているのが見えました。ああ、父上、ちゃんと歯を買い戻せたのね、などということを考えながら、小さなアーリアちゃんはお父さんに背負われたまま眠りにつきました。

双子にとって夢であったのは、憧れのパリではなく幸福な未来という甘美な錯覚であったことを、小さな二人はまだ知りません。

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