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第1140話 JINRO 投稿日: 02/07/28 01:50 ID:qPeS4mZK
ユーロ町北回り線

「えっと、この箱はお兄ちゃんあて、こっちのはユーロ町行き……」
荷札を書いていた手を止めて、ラスカちゃんは額の汗を拭います。
ここはアメリー家のラスカちゃんが住んでいる離れ、その一角にある「アンカレジの間」。
今日もご町内のバイク便のお兄さんやお姉さんたちが忙しく駆け巡っている、荷物の集積所です。
今は。
汗を拭ったラスカちゃんの視線の先に、集積所には場違いな豪華なシャンデリアが映りました。
……前はしょっちゅうここで遊んでもらったんだよね……
一瞬さみしそうな表情を浮かべたラスカちゃんでしたが、すぐに真面目な顔つきになって、新しい荷札にペンを走らせました。
ニホンちゃんがユーロ町にお出かけしたいときは、いつもロシアノビッチ家の敷地を通らせてもらっています。一番の近道だからです。

ところがちょっと前、まだロシアノビッチ家がマル教を信仰していた頃、
「我が家はマル教の信者以外の通り抜けを認めない」
という家訓がロシアノビッチ家にありました。この家訓のせいで、アジア町から
ユーロ町へ行くには、イン堂君の家からアッラー班のみんなの家を通らせてもらうしかありませんでした。
とっても遠いし、お金もかかります。その上、いつアッラー班のけんかに巻き込まれるか分かりません。

ちょうどそんなとき、ユーロ町の北に住む家の人たちが「北回りコース」というのを考え出しました。ラスカちゃんの離れに一泊しなければいけませんが、アメリー君の家は認めてくれました。

ユーロ町にお出かけしたくて仕方なかったニホンちゃんは、当然それに飛びつきます。おりしもそのときは「ニホン家はアメリー家を追い越す!」という言葉が広まっていた、ニホン家が絶好調だったとき。
ニホンちゃんだけじゃなく、ニホン家のみんながこのコースを使って旅行に行こうとしました。
休憩所として使われたアンカレジの間。休憩席の予約は高級なほうから売れていき、アンカレジの間はニホン家のみんなで満員。おみやげやさんにもニホン家の人が列をなして、売る品物がなくなってしまうくらいでした。
そんな、ニホン家に占領されたかのような離れの中で、ニホンちゃんはラスカちゃんに出会いました。おみやげやさんの品物がなくなってしまい、そのことを謝っているラスカちゃんを見たのがきっかけです。
最初のうちは、どうしても頭の上がらないアメリー君の妹として、社交辞令程度に付き合っていましたが、一生懸命働いているラスカちゃんの姿を見、そして好みが同じということを知っていくにつれ、どんどん仲良くなっていきました。
最初は部屋の中で遊んでいるくらいでしたが、そのうち 夏は一日中いっしょに自転車に乗ったり、冬はラスカちゃんの操るそりに乗ってオーロラを見に行ったり。とても楽しい時を過ごしました。

でも、楽しいときは長くは続きません。ロシアノビッチ家がマル教を脱退し、それとほぼ同じ時期にニホンちゃんのお小遣いが減らされ、ニホンちゃんがラスカちゃんの離れを通ってユーロ町に行くことは無くなってしまったのです。
せっかくニホンちゃんの家の人のためにアンカレジの間を改修してきたのに、それが無駄になってしまいました。もう、ニホンちゃんの家の人も、当然ニホンちゃんもここに立ち寄ってくれることは無いのです。

ある日、アンカレジの間でぼーっとしているラスカちゃんに、アメリー君やユーロ町のみんな、それにニホンちゃんがお願いをしにきました。
「町内バイク便の荷物置き場にアンカレジの間を使わせてもらえないかな?」

そして……
「えっと、これはカンコ君の家からの食料品…なんかすっぱいにおいがするけど…」
「これはニホンちゃんの家行きのブドウジュース……速達にしちゃおっかな」

今日もラスカちゃんは一生懸命お手伝いをしています。アンカレジの間は今日も大騒ぎです。毎日、アジア町とユーロ町、それからアメリー君の家を結ぶバイク便の人たちが右往左往しています。
ニホンちゃんも、ユーロ町のものをたくさんアンカレジの間経由で買っています。
アンカレジの間から、ニホン家の気配が消えることはありません。
学校に行けば、ニホンちゃんにはすぐに会えます。ニホンちゃんの弟のウヨ君は同じクラスです。
でも、たまにラスカちゃんは思います。
ニホンちゃんがわたしの部屋に直接遊びに来てくれないかな、と。

解説 JINRO 投稿日: 02/07/28 02:00 ID:qPeS4mZK
えー、夏休みだ、海外脱出だ、飛行機だ…ということで。カンコ家からだいぶ離れた北回り欧州線の話を。
googleで「北回り欧州線」「アンカレジ国際空港」と検索した結果と、ISBN4-06-154239-7「機長の一万日」を参考にしました。
ラスカちゃんのニホンちゃんに対する感情は、ソースはありません。こう思ってくれたら嬉しいという、私の創作です。
北回り欧州線の発見とバブル景気はだいぶ時差があるのですが、そこはケンチャナヨということで……
しかし考えてみれば、日本が絶好調だった時期って私の年齢がまだ一桁くらいの頃だったんですね。
飛行機からオーロラが見える風景を体験してみたかったなぁ。そう考えるとあの当時、日本人は景色も買っていたのか(藁

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