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第1946話 無銘仁 ◆uXEheIeILY 投稿日: 04/08/05 09:13 ID:9TD+GFKD
 「ニツテイさん 2」

 英吉利に談判するためには、ユーロの風俗を知らねばならぬ。
英吉利は裏で悪事を働きながら、少しでも反駁されれば
ふた言目には品性だの、文明だのと逆捩を食はしてくる。
あんな奴に品性があるぐらいならおれは公家にでもなるところだ。
応接間をハイカラなホテルみたやうな洒落た部屋にし、
奴を招いて機嫌をとることにした。厭だけれどもここは我慢だ。
英吉利は相ひ変はらず気取つてゐたが、存外話が通じた。
あとで妹に聞くと、英吉利は露西屋の商売敵であるらしい。
何のことはない、露西屋牽制のためおれを使つたという訳だ。
おれはかう云ふ策略は下手なんだ。

 何ヶ月かしてユーロの奴等も威張らなくなつた。
英吉利も腹の中はともかくおれを上等に扱ひ始めた。
ある夜る弟が来て、朝鮮家がうちの家財を盗んだと云ふ。
朝鮮家の評判はどうにも悪い。裏に老舗の支那屋があつて
その一角に間借りしてゐるのだが、両親は色に狂ふ、
小供はひねつこびると云ふ有様らしい。
その癖支那屋にまるで頭が上がらぬもので、
弟が何かと世話を焼いても逆に逐ひ出すのだと云ふから
全く暴慢の極みだ。ユーロの奴等と誼を通じるつもりなら
旧知の朝鮮家に役立てると思つたものを、生意気に支那屋の力を
笠に着て威張りだすから始末に終へぬ。
こんな家系でも三四代前は聖人のやうに立派だつたと云ふから、
何だか訳が分からない。
 弟の云ふのが事実ならば天誅を加へねばなるまい。
なに腐つた了見の下等な奴等だ。気の毒がることなどない。
おれはすぐに朝鮮家へ行つてこの馬鹿野郎友達のものを
盗る奴があるかと詰りかけた。すると朝鮮は狼狽の気味で
あなたの弟が勝手に入つて来たから怒つた親戚がやつた、
悪いが支那屋さんと喧嘩はできぬと云ふ。
玄関口で押し問答してゐると、いつの間に呼んだのか支那屋が
にやにや笑ひながら止めに入つてきた。支那屋はえへんえへんと
咳払ひをして、朝鮮さんは私の店子ですから文句は私に云ふやうに、
しかし君注意しないと剣呑ですよときた。
剣呑は承知のうへだ。支那屋は大店だが大きければ
えらいなんてわけあない。兄はおれより大きかつたが人間としちや
おれのはうが上だ。

 支那屋との顛末を話すと、弟も妹もそれは手温るい凹ましてやれ
と云ふ。おれは朝鮮の言訳が気になつて仕様がない。
弟は好加減な邪推を実しやかに云つたのではないか。
しかしこつちでは支那屋の横柄に向うを曲者と極めてしまつて
ゐるから、いまさら変へやうもない。
大概荒れた暮らしをするやうな奴の云ふことだ、いかさま師の
言葉と思ふよりなからうと考へることにした。
おれは支那屋に喧嘩を仕掛けた。支那屋はずう体は大きいが
弱虫だから、おれがぽかぽか撲つてやると尻持をつき、しまひに
ぐうと云つて降参した。
朝鮮はそれを知ると蒼くなつておれにあやまりにきたが、
おれはもう心の中で不信任を申し渡してゐたので
ふんさうかと云つて聞くだけ聞いた。
 支那屋はおれに負けてから観念して云ふ事を聞くやうになつた。
ところが支那屋の庭に物置を建てさせろと云つたら、
どうした訳か露西屋が反対した。
露西屋は支那屋より大きいずう体をして、卑劣にも独逸(ドイツ)亭と
云ふ同業者と仏蘭(フラン)子と云ふ女を味方にし、
三人でおれの所へきて剣呑ですよと云つた。露西屋は云ふに及ばず、
独逸も横風ならこの仏蘭子もやに横風なおきやんだ。
三国だか両国だか地獄だか知らないが勝手を云やあがる、
糞でも喰らへと思つたが、露西屋と独逸と仏蘭子がいつしよに
なればおれとてかなはぬからやうやく辛防した。
遣つつけるならあとで塊めてうんと遣つつければいい。
漢学に詳しい妹は臥薪嘗胆の気概がどうのと云つてゐたが
おれの頭では何のことやらさつぱりわからぬ。(続く)

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