戻る <<戻る | 進む>>
第2117話 シュタイナー 投稿日: 05/01/16 01:48:28 ID:XdOq3GZC
「右へ倣え」

 ニホンちゃんは、中華アパートの香ちゃんのところへ来ていました。遊び半分、お使い
半分です。日ノ本家は今チュウゴ家との取引が盛んなため、ニホンちゃんはチュウゴ家
に行くたびにいろいろなものを買ったり売ったりしていました。今回は、香ちゃんの同級
生であるウヨ君もついてきています。何のことはありません、ただ荷物持ちとしてつれてこ
られただけでした。
「姉さん、これ重いよ」
「文句言わないの。男の子でしょ」
 ニホンちゃんはウヨ君に重い袋を抱えさせて、船に乗って中華アパートへやってきまし
た。直接香ちゃんの部屋に行きます。
「おじゃましまーす」
「しまーす」
「あ、ニホンさん、ウヨ君、いらっしゃい」
 パソコンに向かってキーボードを叩いていた香ちゃんは振り返ると、二人を出迎えまし
た。ウヨ君は重い荷物を足元に置き、ふぅと息を吐きます。
 ニホンちゃんは香ちゃんにウヨ君の持ってきた荷物を見せました。
「香ちゃん、前売るって約束してたもの」
「ああ、日ノ本家の野菜ですね。見せてください。……おいしそう。これならいいです。じゃ
あ、早速買います」
「おっけー」
 ニホンちゃんはアメリー君のような軽さで了解すると、着物の懐から財布を取り出そうとし
ます。横から声をかけられたのはその時でした。
「あれ、ニホンちゃん」
「あら、いらっしゃったのですか?」
「ほえ、タイワンちゃんとエリザベスちゃん」
 ニホンちゃんが声のした方を向くと、そこにはタイワンちゃんとエリザベスちゃんが立ってい
ました。
「二人とも、どうしてここへ?」
「どうしてって……多分あなたと同じですわよ」
 エリザベスちゃんは呆れたように言いました。
「あ、そっか」
 ニホンちゃんは手を打って納得しました。中華アパートは今や、地球町中の家がこぞって支
店を設ける人気の土地です。そのおかげで、中華アパートは大賑わい。まぁ、ウヨ君に言わ
せるなら、
「町中の経済的植民地ってことだな。まぁ、バブルが弾けるまでさ」
 と、なるのですが、当のチュウゴ家の面々は全く気にした様子はありません。もちろん、家の
中がどんどん汚れていくことに対しても無頓着です。それどころか、汚い部分を壁で覆って隠
そうとまでしています。もっともこれは、今度開かれる町内大運動会に向けてです。
「エリザベスちゃんもお買い物?」
「ええ。ここだと安く手に入りますし」
 エリザベスちゃんはそう言って、手に持った袋を揚げて見せました。
「タイワンちゃんも?」
「まぁね。残念だけど、いろいろあるし」
 タイワンちゃんは嫌そうな顔をして言いました。彼女はどうも中華アパートが好きになれません。
もちろんそれは、
「何が残念アルか?」
「あんたのせいよ」
 たった今香ちゃんの部屋に入ってきたチュウゴ君のせいなのですが。
「兄貴、何で勝手に人の部屋に入るんだ」
「香、何を言ってるアル。ここは中華アパートアルよ」
 チュウゴ君は良く解らない理屈で香ちゃんの抗議をスルーします。香ちゃんは続けて何か言お
うと口を開きかけ、止めました。今までの経験から、無駄だと悟ったようです。
「ええと、とりあえずお金」
 ニホンちゃんはおろおろとしながらも、そう言いました。
「あ、そうだったね。ニホンさん、何か買うものありますか?」
「うん、じゃあその貝もらえるかな?」
 香ちゃんはニホンちゃんの示した貝を手早く袋に詰めます。最近ニホンちゃんの家にはチュウゴ
家で作られたものがたくさんありますが、それらのたいていは日ノ本家が中華アパートに間借りした
部屋で中華アパートの人を雇って作ったものですから、チュウゴ家を介して買いません。
「じゃあ、差額は……マイナス千円です」
「はい」
 ニホンちゃんは今度こそ取り出した財布から千円札を取り出し、香ちゃんに渡します。香ちゃんは
それを大事そうに受け取りました。
「へぇ、たった千円なんだ。やっぱり円は強いね」
 それを見ていたタイワンちゃんは言いました。
「本当ですわね。最近はどんどん値が上がっていますしね」
 エリザベスちゃんも同意します。彼女の言うとおり、今ではアメリー家の一ドルが百円とほとんど同
じくらいです。
「えへへ」
 ニホンちゃんは、なんだか自分が褒められたような気持ちになりました。
 実際、それも間違ってはいませんでした。地球町では、それぞれの家が独自のお金を持っていま
すが、そのお金が他の家でどのくらいの価値になるかと言うのは、その家の信用と関係しているから
です。会社の経営が順調で、信用のある家ほど、その家のお金の価値は高くなります。逆に経営不
振だったり、信用の置けない家だったりすると、お金の価値は低くなります。
 つまり、円が強い――円の価値が高いということは、日ノ本家の信用度が高いのと同義なのです。
 ただし、家のお金の価値が高いと、困ることも多くあります。例えば、自分の家で作ったものを他の
家に売る場合は、家のお金の価値が高いため、相対的に他の家のお金の価値が低くなって、たい
した額で売ることが出来なくなります。
 また、家のお金の価値を変えない家もあります。昔の日ノ本家や、今のチューゴ家がそうです。
「円アルか」
 チュウゴ君が千円札を見てポツリと言いました。その表情は、何かを企んでいる類のものではありま
せんでした。ウヨ君も一応警戒態勢はとっていますが、木刀の柄に手を掛けてすらいません。
「うん、そうだけどどうしたの?」
「ニホン、朕の家のお金を知っているアルか?」
 チュウゴ君がニホンちゃんに訊きます。ニホンちゃんは不思議そうな顔をして、
「元でしょ。常識じゃない」
 と言いました。知っていて当然です。前述したとおり、日ノ本家とチュウゴ家はいま、物流が盛んなの
ですから。ただし、香ちゃんが不快そうな顔をしているのは目を瞑っておきましょう。香ちゃんの部屋で
は特別に、香港ドルというお金を使っているのです。
「じゃあ、円をうちの発音で言うとどうなるか知っているアルか?」
「ええ?」
 ニホンちゃんは困った表情を浮かべました。ニホンちゃんは英語はそこそこ出来ますが、北京語に
ついてはそこまで詳しくありません。
「『Yuan』だよ、姉さん」
 そこで、ウヨ君が助け舟を出しました。
「『元』と同じ発音になるわけ」
「え! そうなの?」
 ニホンちゃんは驚いて聞き返しました。ウヨ君は何故かこういうことには詳しいです。
「正解アル。まぁ、今はうちでもYenって発音しているアルが」
「ええ、と……何で?」
 ニホンちゃんは完全に混乱して訊きました。
「朕は知らないアルよ。まだうちが清の時代に、日ノ本家にお金を売っていたと聞くから、それと関係
があるんじゃないアルか?」
 チュウゴ君が言うと、日本ちゃんはそうなのかなぁと呟きます。
「まっさかぁー。逆でしょ。チュウゴがパクったんでしょ」
「失礼なことを言うなアル!」
 タイワンちゃんがいい加減に言うと、チュウゴ君、本気で怒りました。どうやらやましいことは無いよう
です。それもそのはず、基本的に日ノ本家にいろいろな技術を教えてあげていたのは、昔のチュウゴ
家だったからです。最近は逆のことが多いですが。
「関係ないとも言えないけど、微妙に違うよ」
 そう言ったのはウヨ君でした。みんなの視線がウヨ君に集まります。
「武士、知ってるの?」
「概要は」
 ウヨ君はそう断ってから、話し始めました。
「最初に言っておくけど、実際のところなんで『円』になったか、詳しいことは解ってないんだ」
 皆、なーんだという顔をします。ウヨ君は一拍置いてから、
「だけど、香港壱圓とは関係あるって言われてる」
「香港壱圓?」
 不思議そうに言ったのはニホンちゃんです。逆にエリザベスちゃんは、何か思い出したようにハッとし
ています。
「うん。そもそも『圓』っていうお金が出来たのはニッテイおじさんがまだ子供の頃なんだけどね、最初は
円じゃなくて元にしようかって言われてたんだって」
「えー、そうなの?」
 ニホンちゃん、これには驚きました。チュウゴ家の通貨と同じだったからです。もしかしたら、日ノ本家
はチュウゴ家と同じお金を使っていたかもしれないわけです。
「うん。でも、なんだか解らないけどニッテイおじさんが、急に円に変えちゃったんだって」
「何で急に変えたの?」
 聞いたのはタイワンちゃん。なんだか興味が湧いてきたようです。いえ、日ノ本家がチュウゴ家のお金
を蹴って新たなお金を作ったという部分に反応したのですけど。
「うん、それが諸説入り乱れてるんだ。ニッテイおじさんは死んでしまったから、謎は謎のままだしね。もっ
とも確度の高い説だと、硬貨が丸かったから円にしたとか、手で円を作ってお金を表すから円にしたとか、
香港壱圓を参考にして円にしたとか言われてる」
「ふーん。で、その香港壱圓って何なの?」
 ニホンちゃんが訊くと、ウヨ君はうんと頷いてちらりとエリザベスちゃんを見ます。
「昔、まだここがエリザベスさんの家の土地だった時、発行された独自のお金。今の香港ドルみたいなも
のだよ」
「ああ、そうなんだ」
「じゃあ日ノ本家は、昔のここのお金を参考にして自分たちの家のお金を作ったの?」
 香ちゃんが訊くと、ウヨ君は頷きました。
「当時はエリザベスさんの家は物凄く強かったからね。右へ倣えで同じようなお金を作ったんだと思うんだ」
「まぁ、そうですわね」
 エリザベスちゃんは流石です。「当時は」という単語を聞いてもピクリともしません。むしろ当然と受け止
めています。この辺が、フランソワーズちゃんと違うところでしょう。もっとも、内心は解りませんが。
「なるほどね。確かにアメリー君の家が強い今は、どの家も『何々ドル』って作ってるしね」
 ニホンちゃんは何気なく言います。香ちゃんとタイワンちゃんが傷ついたような顔をしました。
「右へ倣っちゃうのは仕方ないことだよ。よっぽど嫌いでもしてない限り、普通はその時一番強い奴か、一
番親近感の湧く奴にいろいろと合わせるんじゃないのかな?」
 ウヨ君が二人を慰めるように、ニホンちゃんに言いました。
「まぁ、そうよね」
 香ちゃん、立ち直りが早いです。まぁ、所詮アメリー家に倣ったというほどなので、元々そんなに傷つい
てはいませんでしたが。タイワンちゃんも、元気になったようです。
「ついでに言えば当時は、日ノ本家でも円のことを「圓」て書くこともあったそうだよ。最初の方のうちのお金
には『何圓』って書いてあって、その後に『此券引換に金貨何圓相渡可申候』て書いてあったんだ。解りや
すく言うと、このお札と金貨をとっかえますよってこと」
 ちなみに漢字の部分は、「このけんひきかえにきんかなんえんあいわたしもうすべくそうろう」と読みます。
この「何圓」のところにいろいろな漢数字、例えば五圓とかを入れると、それは五圓札になります。
 しかしながらこの時に重要なのは読み方ではなく、お札の中にも「圓」と書いてあったことでしょう。
「ふぅん。じゃあ、香港壱圓がモデルになったのはほぼ確定じゃないの?」
 ウヨ君はニホンちゃんの言葉に、どうだろうとでも言う風に肩を竦めて見せます。
「昔の字だからね。読み方だってまちまちだし。町ではYen、うちではEn、ここではYuan、カンコ家ではWon
……あれ?」
 ウヨ君は自分で言って、不思議そうな顔をしました。回りを見回します。皆も同様でした。
 その時のみんなの表情を端的に表現するなら、「またあの家は意味の解らないことを」と語っている表情と
いうところでしょうか。不思議そうな顔の中に呆れの気持ちを滲ませるとは、皆なかなか器用です。
「えーと、武士。もう一回言ってみて」
 ニホンちゃんが代表して言いました。ウヨ君は首肯します。
「うん。えーと、円は、カンコ家ではウォン……」
 一瞬の沈黙の後、六人の声が重なりました。
「あれ?」

解説 シュタイナー 投稿日: 05/01/16 01:57:20 ID:XdOq3GZC
 とりあえず通貨の話を。
 ただし香港壱圓の話は、本文中でウヨ君が言ってるようにあくまで
説の一つなので注意してください。

 あと、チュウゴ君の一人称に悩みました。俺にするか朕にするか。
 香ちゃんの立場にも迷いました。五年生なのか三年生なのか。
 タイワンちゃんにも悩みました。出すべきか出さぬべきか。

 ……悩んだ割には無駄に長かったような……。
 まぁ、歴史モノなんで多分に間違いがあると思いますが、指摘して
もらえるとありがたいです。謝罪と訂正はします。賠償は(以下略

この作品の評価を投票この作品の評価   結果   その他の結果 Petit Poll SE ダウンロード
  コメント: