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第41話 どぜう 投稿日: 2003/12/23(火) 20:-24 ID:feRHPVho
『象さんの貯金箱』

ニホンちゃんの部屋の勉強机には、色々なものが置かれています。
女の子らしく、どれもかわいらしい物ばかりですが、
その中で、ずいぶんと古びた象さんの貯金箱がありました。
このお話は、その象さんの貯金箱のお話です。

「…そのような訳で、
借りているお金を少し値引いてくださいませんか?」
南向きの部屋で、二人は静かに話していました。
第二次町内大喧嘩の時に出来てしまった日之本家の借金の棒引きを、
ニッテイさんがタイランくんのお父さんにお願いしている最中でした。
夏が終わり、季節はもう秋でしたが、飽きもせず蝉はまだ鳴いていました。
「…よろしいですよ、どうか、頭を上げてください」
深々と頭を下げているニッテイさんの髪には、
だいぶ白い物が混じっていました。
「…ありがとうございます」
「貴方には以前お世話になりましたことですし――それに」
「?」
「私たちは友人同士ではありませんか?何を水臭い」
『象さんの貯金箱』

それから二人は色々と話をしました。
地球町のこと、お互いの家の料理のことや、唄。
気がつくと、もう時計は4時を過ぎていました。
「ああ、もうこんな時間ですか」と、席を立つタイランくんのお父さん。
と、書斎の出口の影に、小さい女の子が立っていることに気がつきました。
物陰から、こちらを睨むように観察しています。
「おや」うちの小僧と同じくらいの年の子だ。
そう思い、その女の子にタイランくんのお父さんが話しかけようとすると。
「………!」
その女の子は人になれていない猫のように逃げていってしまったのです。
「孫娘のさくらです、失礼な振る舞いを」
「しかし、そのさくらちゃん、なにやらおかんむりの様子でしたが」
と、タイランくんのお父さんが云うと、
ニッテイさんは「ああ」と低く唸りばつの悪そうな顔をしました。

その帰り道、夕暮れの一番星を眺めつつ歩きながら、
タイランくんのお父さんは考えていました。
「手ぶらで帰ったらウチのヤツに怒られるだろうなあ」
けれど、そう云いながらもタイランくんのお父さんの表情は、
どこか晴れやかでした。
「まあ、いいか」
もう家はすぐそこでした。
『象さんの貯金箱』

「…で、結局あなたは手ぶらで帰ってらしたのね」
台所で、タイランくんのお母さん夕御飯を支度しています。
とんとんとん、となにか刻んでいるようです。顔色はお父さんには見えませんでした。
「…はい」
「あ、でも私もずいぶん頑張ったんだよ、でもね」
「……」
「――ずいぶんお世話になった人だし、それに生活だって」
「……」
「判ってくれないかな、駄目かな?」
とん、と包丁のリズムがとぎれました。続けて小さなため息の音。
こういう間は誰しも緊張してしまうものです、
タイランくんのお父さん、思わずごくりとつばを飲み込みました。
そしてしばらくしてから、お母さんは、
「仕方ない人」と、それだけ云ってまた手を動かし始めました。
「…え?」
「仕方ない人って云ったのよ、しばらくの間ナンプラーかけご飯決定です」
「いいの?」
「お小遣いも当面カットです」
「え、あ…うんうん」
「では、タイランを呼んできてくださいな、お夕飯の支度ができましたよ、って」
「あー、はいはい」
『象さんの貯金箱』

お許しが出てほっとしたタイランくんのお父さん、
回れ右をしてタイランくんを呼びに行こうとしました。
と、振り向いた先には、剣呑な雰囲気を察したのか、
タイランくんがこちらをのぞき込んでいました。
「あ」父親の威厳と云う単語が一瞬脳裏をよぎります。
まずいところを見られちゃったかな。
そう思って、ことさら厳格にタイランくんのお父さんは、
タイランくんを呼びつけました。
「あー、タイラン。そろそろご飯の支度が出来るから、
キミは食器を戸棚から出しなさい、いいね?」
ところが、タイランくん、動こうとはしません。
まん丸い瞳でタイランくんのお父さんを見上げるばかりです。
「あー、タイラン?父さんの云ったことが――」
「おとうさんはおこづかいカットなの?」
「うっ…」
「ニッテイさんに貸したお金が返ってこなかったの?」
「こ、こらタイラン、人聞きの悪いことを云うもんじゃない。
父さんはね、ニッテイさんにお世話になったんだよ。
タイランがまだ赤ん坊の頃、何くれとなく世話をしてくれた人なんだぞ。
その人が困っている時に、後ろ足で砂をかけるようなことは、
父さんには出来なかったんだよ。それだけだよ」
たたっ。
タイランくんは踵を返して寝室に引っ込んでしまいました。
『象さんの貯金箱』

しまった…
「強く云いすぎちゃったかな?」
そう心細げに呟いてタイラン父さん、お母さんの方を振りかえりました。
「ご立派な演説でしたよ?」と云いながら、お母さんは軽く苦笑いをしていました。
「他人事だと思ってキミは…」
そう抗議したタイラン父さん、後ろからシャツの裾を引っ張られました。
「ん?」振り向くと、裾を引っ張っていたのはタイランくんでした。
にーっ。
満面に笑みを浮かべてタイランくんは後ろ手に持っていたものを、
お父さんに見せました。
「はい!」
「?」
それは買ったばかりの象さんの貯金箱でした。

「なんだい?これは?」
「ぼくのちょきんばこ!」得意そうにタイランくんは続けます。
「ぼくのちょきんばこをね、お父さんに貸してあげる。
中のお金はお父さんにあげるよ」
「…タイラン」
「そのお金とね貯金箱をね、ニッテイさんにあげてきて。
そうすればそうすればお父さんのおこづかいもちょっとはカットされないし、
ウチの食事もちょっとはナンプラーかけご飯だけじゃなくなるよね?」
「…お前」
言葉が続かず、腰を下ろしてタイラン父さんはタイランくんを抱き締めました。
お母さんは、静かに笑っていました。
『象さんの貯金箱』

「――と云う事でして、この貯金箱はそのままさくらちゃんに差し上げてください」
別の日に同じ部屋で、再びニッテイさんに会いに来たタイランくんのお父さんは、
ニッテイさんにタイランくんから受け取った貯金箱を渡しました。
「息子にずいぶんせがまれましてね。いつ渡しに行くのかって」
「……」
「――妻なぞは私が貯金箱のお金を、賭博にすってしまわないか心配する始末で」
「……」
話しているのはタイランくんのお父さんだけで、
ニッテイさんは小さな貯金箱を掌で包むように持ち、俯いたまま黙っていました。
「…ご迷惑でしたか…?」
「…いや、そのような、事は」
今度は、タイランくんのお父さんが言葉を失いました。
顔をあげたニッテイさんは泣いていたのです。

「ご存じの通り、我が家の家計は火の車です」
ぽつり、ぽつりとニッテイさんの独白は続きます。
「けれど、それはあの喧嘩の後で火の車になったのではなく、
あの喧嘩の時から家計は逼迫していたのです」
「……」
「ある時、私は家の者に全て金を出させました。
有り金をかき集めなければならない、そう云う時でした」
「…あの頃は…今もですが、ほとんどの家がそんな状況でした」
ゆっくりと顔を横に振り、ニッテイさんは静かに笑いました。
「さくらは、あの子はあまり贅沢をいわない子でした。
なにくれとくれてやる小遣いも全部貯めていました…
だから、お金を惜しんだのではないと思います。
私が、あの、さくらの象の貯金箱を割る時にあれだけ泣いたのは、
たぶん、象の貯金箱に対する愛着が、そうさせたのだと思います。
愛着が深ければ深いほど、それを壊した人間を、憎むようにもなります」
『象さんの貯金箱』

そう云われて、タイランくんのお父さんは思い出しました。
書斎の出口で睨むように見ていたさくらちゃんを。
「あれは…だから、さくらちゃんは」
「あれから、さくらは私には口を開いてくれません。
そうさせたのは私の責任なのです。仕方がないことです。
…けれども、これが、象の貯金箱があれば、
あれの心もいくぶんか和らぐでしょう…ありがとうございます…」
「いつか、…時が溝を埋めてくれますよ」
時計が4つ、鐘を鳴らしました。


……
………
貯金箱はそれからずっとニホンちゃんの机の上にありました。
ちょっとだけ欠けてしまったところもあります。
塗りが剥げてしまったところもあります。
カンコくんには豚さんの貯金箱を自慢されます。
古びた貯金箱を冷やかされたりもします。

ニホンちゃんはニッテイさんの思い出がほとんどありません。
けれど、象さんの貯金箱を見ると、あの朝の事を思い出します。
象さんの貯金箱が枕元に置かれていた朝のことを。
貯金箱の象さんの目は、今でも優しそうな目をしています。
眠るニホンちゃんを見やる、あの日のニッテイさんの目は、
貯金箱の象さんと同じように優しい目をしていました。

おしまい。

解説 どぜう 投稿日: 2003/12/23(火) 20:-20 ID:feRHPVho
元ネタは以下の通りです。
ttp://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_2/jog064.html
ttp://www.h3.dion.ne.jp/~mizue/hanako.html
戦時中タイに進駐していた日本軍への、
20億バーツ(30億円)の貸与の返還交渉の使節団は、
独断と言ってよい形で返済の値引きを了承しました。
帰国後、使節団のソムアン顧問と、
その父で戦前に経済相をつとめたプラ・サラサス氏は、
さらに「あまりにも日本の少年少女がかわいそうだ」と、
私費で象と米10トンを日本に贈られました。
贈られた象は、戦時中猛獣処分で死んでしまった、
象の花子さんの名前にちなんで『花子』と名付けられ、
現在でも存命と記憶しています。

前回書いた草稿が気に入らずに、
大部分書き直しをしましたが、まだ爪の甘さが残ります。
人に云えるほど『出来ちゃいない』事を痛感。
既出ネタかどうかは未確認なので、
もしネタ被りしていましたら、失礼いたしました。
しまった…
『お父さんに貸してあげる』じゃねぇ。
「ぼくのちょきんばこと、中のお金もお父さんにあげるよ」です。
くあー。

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